2018年07月17日に初出の投稿

Last modified: 2018-07-17

コメント――ある対象を認識する際、その認識過程、つまり測定や観測行為によって認識の結果が左右されるような事態は、一般に「観測問題」と表現されます。その代表として量子力学におけるハイゼンベルグの不確定性関係、あるいは波束の収束問題などがあったわけですが、今日「観測問題」は、どのような風に了解され、論じられているのでしょう?……

アインシュタインはなぜサイコロが嫌いだったか?

作家の保坂和志さんのサイトに間借りしている樫村晴香さんのサイトだ。以前にも MD で紹介したようにも思うのだが、ご自身がしばしば投稿してきた『現代思想』のような媒体にぴったりのゲンセツである。僕はこの雑誌にも、そしてそこに投稿されてきた数々の論説にも、それなりに敬意はもっているつもりだ。しかし、このような脈絡では、そういうわけにもいかない。そして、誤解されると困るのだが、僕が思想オタクの大好物とも言うべきこうした稚拙な量子力学の解説を取り上げなくてはいけないと感じるのは、自然科学者や彼らのお気に入りのメディアに対するリップサービスや、小文字の政治とも言うべき追従が理由なのではなく、まさに哲学(しかも「科学哲学」ですらない)としての理由があるからだ。

まず、量子力学をもてあそぶ思想オタクによくあるのは、量子力学が古典論理を否定し、「それゆえ」世界のあらゆる二律背反を否定するという壮大なバカ話だ(だいたい、この手の話を展開する人というのは、排中律の否定と二値論理というモデルの否定とを混同したり取り違えていることが多い)。

学部生が勉強する哲学の基礎的なタームを思い出してもらいたいのだが、哲学には概念と観念という(いちおうの)対比があって、自然の法則や特性に対応するべき概念と、我々の心が意味や命題という単位の内容として扱う観念は、それぞれ異なる。ただし、これらが「それぞれ異なる概念」なのか、それとも「それぞれ異なる観念」なのかは分からないし、実は「概念」というものは理想的な状況を仮定しただけの観念であり、「観念」というものは実際に認知科学によって定式化できる概念なのかもしれない。こういう、自明でも何でもない困難な枠組みを最初から抱え込まなくてはいけないのが哲学の仕事である(しかし、世の中の大半の「仕事」は、未熟という理由もあるが、たいていの人にとってこういうものなのだ)。

したがって、上記のような論考は、哲学の基本的な素養から言っても混乱した思考を展開している。そして第二に、並木さんが岩波新書で書いたような通俗的な解説に影響されているのかもしれないが、とかく観測問題を理論物理学者にとっての哲学的な暇つぶしだとか、あるいは才能が枯れた老人の余技などと蔑むのは、別に学界の大勢というわけでもない。実状は、たいていの物理学者の実務においては、観測問題と呼ばれるような論点について自説を立てたり、特定の学説を前提として採用しなければならない理由がないというだけなのだ。同じことは、例えば数学における虚数いや数そのものにも言えるだろう。そして大切なことは、哲学者が議論するべきなのは観測問題が論じている方程式の解釈や観測の前提になる概念ではなく、物理学において「在る」とか「実在する」という語句はどういう役割を果たしていて、例えば量子力学においては特別な脈絡を要求するのか、あるいは古来の自然学者たちの観念と同じなのか、そして「同じ」であるための条件は何かといったことなのである。

僕が昔から科学哲学を学びたいと言ってくる後輩たちに注意しているのは、自然科学のどういう分野の勉強であろうと大切なのだが、自然科学者も場合によっては「哲学する philosophize」場合があり、そこでの議論に引き込まれてしまうと、知らないあいだに「実在」とか「存在」とか「理論」などなどのテーマに関する考察が特定の学術研究分野という脈絡に制約されていることに気づかなくなる恐れがあるのだ。したがって、自然科学の理論や概念や数式を自在に操って彼らの問題意識を共有できているということだけに慢心していると、それはただの「理系」コンプレックスでしかなくなる。もちろん、このような距離の取り方を曲解して、愚かにも自然科学の成果を無暗に相対化しようとする人々もいる。たとえば、PHILSCI.INFO で公開している論説でも取り上げたことだが、クワインの「神話」という表現やホーリズムを文化相対主義の柱として立てるような人々がそれだ(しょせんヒトという生物の集団がつくって運用しているだけの理論が理論にすぎないことは哲学的に自明であって、我々が問うべきは、その中でも科学はどうしてこれだけの大きな成果を達成してきたのかである。科学の成果を過小評価するために議論しているわけではないのだ)。

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