2018年07月09日に初出の投稿

Last modified: 2018-07-09

私たちが「クソどうでもいい仕事」に忙殺されてしまう意外な理由

明治大学のような中堅大学の商学部で社会学を講ずることが "bullshit job" でないかどうかはさておき、確かに数多くの職業なり産業なり肩書が増え続けている。中には「エヴァンジェリスト」のように数年で業界から消え去った肩書や職業もあるが(植民地側の住人に立場を替えたら「強圧担当者」と言い換えてもいいくらいのキリスト教用語なのだから、不適切に決まってる。そもそもアメリ人のくせにこのていどの宗教的な素養もない無能か、あるいは意味を分かっていた傲慢な人間が言い出しただけの言葉だ)、データアナリストだ、販売管理局副局次長補代理だ、哲学担当取締役だと、幾らでも増え続けるようだ。いや、肩書はいくら増えてもいいのだが、仕事が無駄に増えていくのは困る。

しかし、この記事で「クソどうでもいい」と紹介されている仕事は、どういう基準でそれほど侮蔑されているのか。役に立たないとは言っても、それは無能がやればどういう仕事でも役には立たないし、我々のように有能な人材がやれば中間管理職だろうと ISMS のセキュリティマネージャだろうと、それなりに会社の事業には貢献するだろう。つまるところ、このようなクソ学者が勝手に主観で「役に立つ・役に立たない」とか「良い仕事・クソ仕事」を分類しているだけではないのか。そして、えてして英米圏の無能な社会科学者が頻繁に引き合いに出すのは、生産性だの売り上げだのという、それこそクソみたいな指標なのだ。そもそも LSE の教授とは言っても、その多くはただの没落貴族か金持ちの子息が暇つぶしに学問をやっているだけである。世の中を引っくり返すような業績を出した試しなど殆どない、という意味では無能の典型とも言える。(僕の専門分野で言えば、LSE に在籍するポパーのエピゴーネンみたいな科学哲学者がラカトシュ賞やヘンペル賞やジャン・ニコ賞を受けた試しなど殆どない。こういう連中は、日本でも似たようなものだが、政治力と財力で哲学教授をやっているのだ。)

思うに、僕らが個々に潰していかなければいけない無駄は、もっと具体的な作業とか業務であり、そのためには、いかな凡人であろうと真面目にものを勉強していかなくてはいけない。無駄な作業や業務が増えていく一つの原因は、簡単に言えばスキル不足と無知だからだ。そういうところから提言していくなら説得力もあると思うが、恐らく LSE 教授のように天下国家をワイン片手に論じる人々の大雑把な知能では、個々の業務に WBS として丁寧に落とし込んだ議論などできないのだろう。

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