2019年02月02日に初出の投稿

Last modified: 2019-02-03

これに対して『どこどこ』第8章の鼎談者たちは、『入門』が(構築主義やエスノメソドロジーなどに基づく)一般的ではない質的調査観を採用しているために、社会学における普通の質的調査の現状からは かけ離れた内容になってしまっている、と評している。

なぜ『社会学はどこから来てどこへ行くのか』はどこにも辿り着かないのか

ということで、昨日に『社会学入門』を買ってきて、さきほどまで第1章の出生に関するパートに目を通した(この本はテーマごとに独立している印象を受けたので、自分が philsci.info で「死」を取り上げている事情から第6章を最初に読もうと思ったのだが、大半が自殺の話だったため第1章を読んだ)。そして、特に第3節の質的研究については母体保護法や出生前診断に関する幾つかの興味深い論点が書かれていたので、参照されている本をアマゾンでウイッシュリストへ追加したり、同じテーマの本を探して図書館で借りるリストにも登録した。それから最近は、特に児童虐待の事件が報道されているからでもあるが、児童福祉について色々と知見を得て考えておきたいと思ったし、関連のある哲学的な議論としてベネターの著作をじっくり扱う必要もあるため、この出生に関する記述内容からかなりの範囲にわたる興味が起きたし、実際に調べたり考えたりするきっかけを作った・・・

教科書の役割としては、これで十分ではないだろうか。

よって、おおむね酒井さんの上記の批評で正しいと思う。上記の記事で取り上げられている社会学者の雑談本によると、各章の第3節が GTA やエスノメソドロジーに偏っているという話だが、『社会学入門』には、有斐閣の要望だからかどうかはともかく岸さんらの本も紹介されているわけだし、他のアプローチについて無視したり冷遇しているようには思えない。当該分野の定義や方法には色々あると書かれているし(それは量子力学だろうと国文学だろうと同じことだと思うが)、それらを総覧的に解説することが本旨ではない以上、何らかの取捨選択があって当然だろう。GTA やエスノメソドロジーという特定のアプローチに言及し紹介しているところでも、それらをして社会学の唯一無二の方法なりなどと、党派的な牽制や loaded language でも忍び込ませているわけでもなし(それこそ、そんなことをエスノメソドロジーの研究者がやるのは非難の的になろう)、いったい何を30年前の新左翼が同人誌に書いてたような下らない党派的なことを言っているのかという気がする。そんなんだから小説か、あるいは「文系」をおちょくる通俗経済本や SF ネタを書くしか能がなくなるのではないのか。別に社会学者がパフォーマンスやパブリシティを優先しても構わないが、その自覚がなくて自分たちが出版・教育業界の客寄せパンダに過ぎないという立場が分からなくなるのでは困る。それでは君たち、高橋源一郎や坂本龍一と同レベルだよ。

ちなみに、僕は岸さんらが採用しているアプローチも興味深いし尊重したいとは思う。僕は哲学者としては可謬主義・有限主義を支持していて、人のやることは常に不完全で有限であり、唯一の正しい方法とか体系という観念を形式的に志向することですら、何らかの偏見から逃れられないと考えるからだ。

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