2018年10月19日に初出の投稿

Last modified: 2018-10-19

僕の出身中学である大阪教育大学附属天王寺中学校には「校則」というものがなくて、生徒手帳に「努力目標」というお勧めのスローガンが幾つか書いてあるだけだった。また、出身高校の同附属高校天王寺校舎でも殆ど規則らしい規則はなく、登校時に正門の前で体育や保健の教師が陣取って女子生徒のスカートの長さを計ったり男子生徒の制服の裏地に毘沙門天が縫い付けられていないかどうかを確認などしない。その代わり、教員は生徒会や自治会の運営には何も手助けをしない。何か学校で行事をやるときは、周辺の住民や会社へ生徒だけで挨拶に行く。そのノウハウや手順も、先輩が後輩に教えないと、後で周辺の住民が生徒会や自治会の責任者に教員とは無関係にクレームをつけることになる。

自由に何かをしてよいと許可されているなら、その自由によってやりたいことをしている当人が準備や実施内容や結果について責任を負うのは、あるていどは当然である。こうした経験を何度か積んでいる人間であれば、自分が何かを放埓にやっているのか、あるいは所定の制度の枠内でやらせてもらっているのかという区別はつくようになる。会社でやっていることも同じだ。当社では、情報セキュリティマネジメントや情報資産の運用方法やソフトウェアのライセンスを管理したり運用している僕の方針によって、業務で必要があればアプリケーションの選択は自由に任せている。テキストエディタに無償の「さくらエディタ」を使おうと、有償の「秀丸」を 3,000 円で稟議を出して買おうとかまわないし、必要があれば誰でも MORISAWA Passport のライセンスを購入するし、Microsoft Office も最新版にアップグレードしたければ稟議は通す。ただし、自分の使っているソフトウェアやアプリケーションが業務にきちんと使えるものか最新版かどうかは、いかに表向きだけ「インターネット・サービス・カンパニー」などと言っているだけだとしても、せめて自分の仕事道具くらい自分でバージョンやアップデートの管理くらいしろという話である。単純なことだ。

しかし、こういうことすら怪しいと言えば怪しいのがマネジメントの困ったところだ。それどころか、こちらが上げ膳据え膳で、デザインやコーディングや営業といった高貴なお仕事に最適な環境をこしらえて差し上げなくては「情報共有ができていない」とか「マネジメントができていない」と勝手に悪印象をもたれることもある。

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