2018年10月31日に初出の投稿

Last modified: 2018-10-31

数理社会学的な立場からの見解になりますが、共同体の中で一人だけ目立って得をしてる人がいた場合、その人がその社会のリソースを集めて、タダ乗りしている可能性が否定できない。そうすると得になるのはリソースを供出しないタダ乗り戦略なので、みんなが得をしようとして、しかるべきリソースを出さなくなってしまう恐れがある。これを放置すれば、ヘタをすると共同体はあっという間に崩壊します。

ロザン×中野信子 「シャーデンフロイデは、社会を守るために必要な感情なんです」

自分が関与せずに他人の不幸を喜ぶ感情、つまりは「メシウマ」と呼ばれるような感情を「シャーデンフロイデ」と呼ぶらしい。そして、それについて幾つかの本を書いている方が、クソ幻冬舎のサイトで解説しているようだ。もちろん僕は、「反社会的」と言えるようなチンピラ出版社の本など決して買わないと誓っているが、あまりにもバカなことを言っているのが分かったときは、無視するだけではなくきちんとリンクして批評する方がいいと思う。

たとえば上記の一節では「数理社会学的な立場」と言われているが、要は既存の簡単なゲーム理論をはめ込んだ、経済学部の学部生がレポートにでも書けるようなことを言っているにすぎない。そして、それゆえに上記は社会の理解として初等的なレベルに留まるし、それどころか間違っている。シャーデンフロイデは、あくまでも "delighting in others' misfortune" という意味だけしかなく、不幸に見舞われた人物が「易々と富や権力を手にした」かどうかという経緯は関係がない。よって、シャーデンフロイデからフリーライドに話を進めて共同体がどうのと論じるのは、端的に言って通俗書ライターによくある showbiz 的な「パフォーマンス暴論(政治家がやる場合は「観測気球」にもなる)」にすぎない。

もしシャーデンフロイデが社会防衛の仕組みとして昔から機能してきたというなら、どうしてわれわれは数々の分野で世襲制を許容しているのか。会社の創業家経営者、仏教団体の門主や宗主、政治家、そして天皇と、事例を挙げたらきりがない。そして、これらの「オイシイ」立場(実際のところ、凡人が言うほど気楽な立場ではないと思うが)にない田吾作が何百年にも渡ってかような仕組みに耐えつつ、ときどき起きる事件で支配階級の没落を陰でせせら笑ってきたような歴史があるというなら、「日本の国柄」などと呼ばれているものは、実のところ国家レベルで蔓延・継承されてきた欠陥だと言えるだろう。

ともかく、「1人だけ目立った人をみんなで寄ってたかって攻撃するという行動に、喜びを感じてしまう」などという、およそマスコミやネットサービスがなければなかったようなことで人や社会を語るような人物の議論や発言は要注意だ。当人が冷静さや「正論」を口走るネトウヨ同然の人間だという可能性もあるし、何かの安っぽい正義感だけに裏打ちされた周回遅れの左翼にすぎないという可能性もあるし、まだおおっぴらに出回っていないナウい用語を発見して権威者ヅラしたいだけのバカだという可能性もある。

おおよそ、社会や人間関係について語る安易な議論の典型は、その「解決方法」を一人一人の自覚だとか意識に求めるというものだ。「自覚してもらう」だの「自問自答」だの、そんなことが個々の成員にできるくらいなら社会科学や倫理学など不要である。

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