2019年11月23日に初出の投稿

Last modified: 2019-11-25

サーバを構築する際に、ディフォールトでどこまでセキュリティ対策するかという基準を正式に作っておきたいのだが、取捨選択や手順はターゲット OS に合わせて自分で調べたり考えたり試す人でないと、申し送りする気になれない。自分の後任として無能に仕事を引き継ぐなんて、俺はしたくないね。事実上のファウンダーだからといって、50越えたおっちゃんをいつまでも会社の最高技術者として伝説みたいに語るのはやめてもらいたいし、俺が退職したらさっさと忘れてしまえるくらいの技術力になっててほしいと思うよ。ほんとに。

上記のように Messages で書こうかと思ったのだが、恐らく現状では無理だし、当社はそういう志向がなくてもいいのだと思う。技術力やテクノロジーについての正確な知識なんてなくても、上場はできるし、テクノロジーの利用者として事業を続けることだってできる。自分たちがネットやテクノロジーに精通している利用者だという(パフォーマンスとしてはともかく)錯覚がなければの話だが。

経営会議や研修の後に居酒屋などで交わされる《ぶっちゃけ》の話を素面の参加者として聞いていると、僕は当社に入って13年くらいになるが、もうこの会社はウェブとか通信にかかわる技術者を自社で抱えたり育てる気はないんだなと感じる。もちろん、フロントエンドやオンラインのマーケティングにかかわる業務だけに専念して、システム開発やサーバ構築や通信ネットワークといった IT に関する一切合切を単なるユーザとしてうまく使いこなせば、それはそれでビジネスになる。自分たちがそういうネットや IT の《ユーザ》企業なり活用事業者として、技術的には GAFAM の、そして商流やマーケティング的には広告代理店のあつらえた世界で部分最適化を繰り返して生きるのだという自覚があれば、だが。そういう自覚が欠落していて、自社にエンジニアやアーキテクトを抱えずにいることが、どのていどのリスクを抱えて、どのていどのコストを要するかを、自社に情報システムやシステム開発などの部署をもつことのメリットなりチャンスと正確に比較できないとすれば、それは自分たちに不足しているものを直接金融というドーピングで補い続けているだけのことだ。

繰り返すが、自社にネットワーク・エンジニアやシステム・アーキテクトやデータ・アナリストやプログラマ(コーダのことではなく、まともな提案や設計ができる人のこと)を抱えることは、IT ベンチャーなら当然だしそうある他はない要件だろうが、かたやそれはオンライン・サービスを活用するレベルにとどまるようなネット・ベンチャーについてなら、要件とまでは言えない。そして、当社は最初から IT ベンチャー企業など志向してはいないし、当社に「IT人材」なんて僕を除いて一人もいないことくらい経営陣は分かっているだろう。それはいい。しかし、その自覚がどのていどあるかは重大な問題である。つまり、そういう自覚があるなら、リスクを抱えたりコストがかかろうと、そうあり続けるという決断も維持しなくてはいけないからだ。

たとえば、いまは仕方ないが、将来は自社でシステム開発の部署を抱えたいなどと甘い構想を建てているのであれば、それは殆ど手遅れだ。企業というものは、よほどの予算を投じると同時に社内の合意を形成しない限り、後から新しい部門を作って人材を《妥当な待遇》で集めるのはきわめて難しい。仮に当社が数年後に上場して一定の資金を得た後に、社内にシステム開発の部署を立ち上げて、自分たちで現行のオンライン・サービスを運用したり構築することにしたとしよう。即戦力の部署をいきなり作るのであれば、部門長から一般社員まで含めて、中途採用として妥当な待遇を用意するなら、よほどのブランド力がない限りは現行の部門長や一般社員と同等の給与では、はっきり言って他社であぶれたような無能しか集まらない。繰り返すが、僕のような人材がいまの給与で働いているのは、はっきり言えば《幸運》でしかなく、いまの待遇でこの宇宙にサーバの構築やプログラミングを暇つぶしにこなす人材がいくらでもいると思ったら、それはまさしく生まれて初めて見た一羽のカラスだけを見てカラスが全て白いと考えるようなものである。これは人事・採用・労務にかかわる業界の「法則」と言ってもいいくらいの真理であり、たかだか上場したというていどの企業に有能な人材が集まるなどと期待するような、極め付きの無能と言える人事担当がいる企業は、事業継続など期待できないだろう。

あるいは、これから育ててゆくという名目で部門長から一般社員までの全員を候補として集めるとしても、やはり部門長まで新卒をいきなり管理職に充てるわけにもいくまい。よって、部門長だけは中途採用となるだろう。そして、どちらのパターンであろうと必ず考慮しなければいけないことは、その部署のパフォーマンスは部門長なり役職者のコア・コンピテンシーにもとづくスキルの範囲が上限になっているということだ。採用した部門長が全く離散数学のできない、IT ゼネコンの OJT で Java や VB を教えられて10年ほど糞みたいなコードを組んできただけのような人間なら、そんな人材を部門長に採用した部署なんて HAL のような専門学校の1クラスていどの力量しかないだろう。たいていの人間は凡庸であり、凡庸な人間というものは、部下が自分を超える才能をもっていても見抜けないし、部下がそういう才能を発揮したいと求めても有効かどうかを判断できないし、自分が適正に判断できる人材かどうかの自覚もない。よって、営業でもマーケティングでも財務でもあらゆる仕事に言えることだが(もちろん経営にも)、その組織のパフォーマンスはトップによって制約されるのである。マネジメントが組織にとって毒にも薬にもなるのは、そういう当たり前の理由による。

そして、どちらの場合にも重要なのは、採用とは結局のところ人材に対する投資だという正確な理解があるかどうかなのだ。いつまでも常識的な「初任給」という無批判的で無自覚な初期値から出発して、《業績を上げたら給料を上げたりボーナスを出す》という、後出しジャンケンの発想を経営陣が持ち続けている限り、有能な人材など絶対に集まらない。これこれの事業にはこういう人材が必要であり、そのためには年収で1,000万円ていどを提示する必要があるのだから、銀行なり VC から幾らを調達するという思考をするべきである。たいていの凡庸な中小零細企業の経営者と同じように、ファイナンスというものを運転資金の調達方法としか考えずに、社員の採用は最小限のコストで初めて結果を出せば運転資金から昇給額を割り振るなんていう部分最適化の思考しかできない経営では、行く先にあるのは資金の枯渇や粉飾決算、あるいはせいぜい市井の個人商店と同じ規模への事業縮小であろう。

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