2018年01月19日に初出の投稿

Last modified: 2018-01-19

本日析哲学においても、実際のところ「ルールに従う」とか「家族的類似性」とか「言語ゲーム」といったアイデアは幾つか話題として取り出されているものの、それらの argument なり demonstration なりが明解にわれわれの思考の歴史における資産として共通の一致を見ているとは思えないのであって、もっと言うと、現今の科学哲学ではウィトゲンシュタインなど殆どの学生が(正式なシラバスで要求されるソースとしては)読んでいないのである。

僕は哲学史そのものについても同じことを雑感としてもっているし、とりわけ科学哲学については論理実証主義をまるで明解に否定できていないような人々による「流行の話題」だけを、次から次へと取り替えるようにして教科書に書き継いでいるとしか思えない実感がある。したがって、もちろん現在のように多くの人々が(もちろんマスコミに含めて)次の流行哲学を待ち望んでいる時代においてこそ、オーソドックスな手法ではあれ、やはり過去に立ち返るべきなのだろう。うそ臭い適当なシステム開発用語を散りばめただけの、理数系コンプレックス丸出しな実在論のことなど、はっきり言って科学哲学の立場からすればどうでもよい。

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