2018年09月15日に初出の投稿

Last modified: 2018-09-15

「6年間も」といっても、中学での英語の授業はかつては週3時間程度、現在でも4時間程度だ。たったこれだけの時間で外国語を習得することができるなど、よほど天才的なセンスの持主だけであろう。中高でただ漫然と授業を受けていただけの人が「英語がぺらぺら」にでもなったら、むしろそれこそ驚異である。

『史上最悪の英語政策 ウソだらけの「4技能」看板』

これは書評だが、本の著者が書いている内容はともかくとして、評者のコメントが的を射ている。僕が通った高校でも、英文法の授業が3年間を通して毎日のようにあったわけでもないし、その授業の予習や復習に毎日数時間を費やすような勉強が必要だったわけでもない。他にも読解や作文の授業があったけれど、それぞれ予習や復習なんて30分もあれば授業に挑めるていどのものだった。つまり、英語に関する授業が毎日2コマずつあったとしても、50分の授業が1週間で12コマだから、1年を52週間として計算すれば、合計で年間に520時間しか英語を勉強していないことになる。これを8時間ていどの合宿形式の授業に置き換えると、65日になる。中学から高校まで6年間で合計しても、390日、つまり英語だけを毎日8時間ずつ1年ていど勉強した人と同じである。

これで、平均的な子供が英語を(どういうレベルを想定しているのかは知らないが)読み書きできるようになるのであれば、一種の奇跡であろう。試しに、15歳でプリンストン大学の教授になっているわけでもない、みなさんの凡庸な息子や娘に置き換えていただきたい。みなさんの息子や娘は、それこそ生まれたときから日本語ばかり習得する練習をしているはずだが、15歳つまりは15年も経過しているのに、果たして日本語の「実務運用者」なり話者として、十分に満足のゆく語彙や表現力やコミュニケーション能力を身につけているだろうか・・・愚問であろう。つまり現今のカリキュラムでは、いかなる科目であろうと、授業だけでは十分に学んだことにはならないのである。

それに加えて、この書評記事で取り上げられている本が述べているように、英語教育を教育政策としてプランニングしている当の官僚や文科省の何とか委員こそ、英語のプロでもなければ英語教育の実務経験もない、中には現実にアメリカ人やイギリス人と言葉を交わしたことさえ殆ど無いような単なる受験秀才であったりする。そして、そういう人々が思い描く「英語ができる人物像」というのは、素人と全く同じように、あまりにも滑稽で笑う気も起きないほどなのだが、いわゆる「ペラペラ」というやつであり、マンハッタンのオフィスで白人の弁護士とシリアスな駆け引きをしている企業人である。

そろそろ、思い込みだけで議論したり重大な教育政策を弄ぶような「イカサマ近代」の時代は終わりである。いわゆる留学帰りの高校生や大学生や企業人、あるいは端的に言って「英語ペラペラ」の帰国子女や混血の子供のうち、そういう経験ゆえに他人から邪魔をされたり反感を買ったというわけでもなく、実力として何らかの特筆するべき業績を上げた人の割合を、もっと正確に調べてみた方がいい。英語を読み書きしたり話せるというだけのことで、他の人々よりも自動的に世の中の役に立つ業績を上げたり地位になるなんてことは、およそありえないのだ。それは、海辺に住んでいる人々が他の土地に住んでいる人たちよりも海をたくさん眺めてきたというだけで、水泳のオリンピック選手になったり、海洋生物学の研究で世界的な権威になったり、海運事業で巨万の富を築けるわけではないのと同じなのである。

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