2018年12月03日に初出の投稿

Last modified: 2018-12-03

リバタリアンの議論が各論として賛同を集めやすいのは確かだ。僕も、(当人が自覚的かどうかはともかく)池田信夫君を始めとする prima facie リバタリアンの議論に首肯することはある。しかし思想としては一貫性に欠けていることが疑い得ず、そしてリバタリアニズムは実際にはあらゆる政策に乗っかったまま「自由」を叫んでいさえすればいいという、55年体制の社会党と同じ卑怯者のフリーライドであり、それを隠すどころかダブルスタンダードを公然と掲げる。都合がいいときは強者の論理や結果論をまくしたて、都合が悪くなると「現実論」や「リアルな経済」という思想的なぬるま湯につかって事態の推移を(たいていは金持ちであるがゆえに)平然と眺める。

日本に限らず、不労所得で食ってるような人々や威勢がいいだけの物書きにリバタリアンが多いのは想定内だが、それらに加えて IT 業界で働く若者の多くがブログで威勢のいいリバタリアニズムを語る傾向があるのは、滑稽を通り越して悲惨の一言だ。君たちのような IT ベンチャーの使い捨て部品である凡庸な技術者やデザイナーこそ、リバタリアニズムによって真っ先に雇用政策や社会保障政策から切り捨てられるのだ。そういうリバタリアンの若者たちは、働く場所がなくなったら自殺でもして社会保障費を抑制するのに貢献してくれるのだろうか。あるいは、お得意のダブルスタンダードを持ち出して、それまで「なまぽ」と侮蔑してきた制度にしがみつきながら、「理想の社会では福祉など無駄なコストだ」と書き続けるんだろうか。

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