2019年01月09日に初出の投稿

Last modified: 2019-01-09

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昨日の夜に、御遣いのついでとして入った『ドン・キホーテ』で腕時計を購入した。カシオ製とは言っても 1,980 円の安物であるが、ひとまず4年は電池を交換しなくてもいいらしいので、久しぶりに使ってみるには手ごろな値段だろう。「いまごろ腕時計かよ」と思う人もいるとは思うが、確かに僕も長らく腕時計は使わずに暮らしてきた。おおよそ、PHS が市場に出てきた前世紀の末(という言い方も大袈裟なものだが)くらいから時刻を見るのに時計は使わなくなって、長らく使ってきた愛用の腕時計も自宅で文字通り埃を被るようになったのである。

しかし、幾つかの理由で腕時計は(必須とまでは言えないが)便利だと思うようになってきた。第一に、一昨日のようにスマートフォンを自宅へ忘れて出社すると、もちろん愛する連れ合いと電話で話せないのは不便だし、時刻がすぐに分からないという不便もある。第二に、先週の土曜日にも感じたことだが、実家から大阪環状線で帰宅する際に、もうプラットフォームの時計が中央付近の一か所にしか設置されていないため、スマートフォンを取り出さずに時刻を確認しようとすれば時計が見える位置まで動かなくてはいけない。しかも、このプラットフォームに設置してある時計の多くは盤面が何故か暗い黄色をしていてバックライトもなく(恐らく蛍光塗料が変質しているのだろう)、時針や分針とのコントラストが低くて、近くまで行かないと時刻が読み取れない。かといって、冬場ともなると衣服を着こんでいて、中のポケットに入っているスマートフォンなど面倒で取り出す気が起きない。そして第三に、何度かスマートフォンの時計ウィジェットを使っていて気が付いたのだが、待ち受け画面から復帰する際に時刻合わせするときとしないときがあるらしく、本当に正しい時刻を表示しているのかどうかあまり信頼しきれない。以上のような理由で、腕時計を別に持つ方がよいだろうと思った。もちろん、第一の理由とも関連するが、スマートフォンを忘れた場合でも時刻だけは分かるようにしておくというリスク対策の意味合いもある。

検索して見つけた記事やページを眺めると、「任意に(つまり自分が好きなときに)時刻を確かめる」という何の問題もなさそうなことがらについて、やたらと人間性がどうとか、あるいは腕時計を使う人間は出世できないとか(果たして1980年代の世界中の上場企業の社長で腕時計をしていない人が何人いただろうか)、下らない思い込みで他人の振る舞いや心理を断定するような記事を小遣い稼ぎに三流メディアとかブログに書いているような連中も多い。もちろん、僕という人間の存在自体がこういうクズどもの思い込みに対する明白な反証事例である。腕時計を使わないというだけで来月から月給が100万円を超えたり上場企業の部長に中途採用されるわけでもなし(逆の反問だが、いわゆるワーキングプアや失業者の中で、いまや腕時計をしていない人の割合は非常に多いと思うが)、いくらバカでも腕時計をしない方がいいと言っている人々は、その効果が長期的なものだと想定しているのだろう。しかし、そんな想定をしたところで、腕時計をするかしないかという違いだけについて正確なパーティションを設定した追跡調査など、この宇宙には存在しないのである。おそらく、そんなバカな調査をする研究者など将来も出てこないだろう。

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