2019年11月18日に初出の投稿

Last modified: 2019-11-18

添付画像

3年以上もイギリスに滞在していて TOEIC 780 点ということで運営しているアカウントらしい。でも、TOEIC のスコアを何の基準にしたいのかよく分からないので、これは考え方によると言うべきだ。なぜなら、そもそもイギリス人の何人が TOEIC で 700 点以上のスコアを出せるのかという問題があるからだ。よく言われるように TOEIC は設問へ素早く回答していくためのコツみたいなものがあると言われていて、設問が何を問うているのかを素早く察知するスキルの方が重視されていたりするという。

したがって、いまはどうか知らないが、かつての大学入試などで言われた「要領の良さ」で東大に入っているような連中と同じような、適当に色々なパターンを要領よくつかんで実行するのが上手いというだけのホストみたいな人々が TOEIC で高得点を取るのである。実際、東大生の8割くらいなんて学術研究の能力も意欲も最初からない計算小僧か外国語小僧だし、学問の世界へ進まなくても財界や官界や政界ですらロクなことをしない馬鹿が大半を占めているのは、日本の実情を見れば分かるだろう。彼らは自分たち自身で「東大生」というブランドに固執しているだけの人間でしかなく、実際には学術や知性で抜きん出ているわけでもなんでもない、ものごとのパターンを要領よく取り込んで会話の受け答えがすぐれたホストやキャバ嬢と同じていどのスキルで別の業界に進んだというだけの人々なのである(逆に言えば、ホストやキャバ嬢でも東大を出てマッキンゼーや電通や財務省に入っていた可能性もある)。

よって、別に TOEIC のスコアが 700 だとか 900 だとかで、世の中に何か貢献できるかどうかの指標になっているわけでもなんでもない。実際、英語学では、スコアが 900 だとか言ってる人々の大半が貢献しているのは TOEIC の教材をつくることだけだという皮肉があるくらいなのだ。

あと、自分なりに勉強してきた者の一人として言わせてもらうと、こういう枝葉末節を繰り返して目にしていても、はっきり言って英語の能力というものは伸びないと思う。なぜなら、自分にとって何の必要もないことを繰り返しているだけだからだ。言葉なり言語というものは、やはりそれで科学哲学を議論したりやエロ小説を書いていようと、根本的には人が生きるにあたって手段の一つなのであるから、生きるために必要な状況で使うものとしての、いわゆるエピソード記憶に支えられていないと、記憶に定着したり自分自身のメッセージとして相手に何かを伝えようとする手段として身に着いたりしないと思うのだ。したがって、何か単語を与えられて日記に書きたい事柄を考えるというような後ろ向きの動機で英単語など覚えられるわけがなく、まずは日本語だろうとなんだろうと《自分の伝えたいこと》があって、初めてそれを言葉にしようとするものなのだと理解していなければ、やはり単語やフレーズを覚えられるとしても非常に効率の悪い、そして覚えたとしても定着しない実情となるだろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook