2018年08月17日に初出の投稿

Last modified: 2018-08-19

「完全焼却された図書」のうち、郷土関係は、土佐藩の国学者、鹿持雅澄が著したものを大正、昭和期に発行した「萬葉集古義」(1922~36年)をはじめ [...]

高知県立大学で蔵書3万8000冊焼却 貴重な郷土本、絶版本多数

うわぁ。なんてことをしてくれたんだ。図書館いわく、新しい図書館にシェイプアップしたから処分したとのことだけど、そんな感覚で司書が本を扱うとはね。そんな感覚を自分達が押し進めていたら、そのうち、「新しい図書館にシェイプアップ」と称して、自分達が CCC のバイトに置き換えられるとは思わんのかな。いずれにしても、『万葉集古義』を高知県の図書館がそんな風に扱うとは、あんまりだ。

[2018-08-19] このあと、連れ合いに幾つかの補足として記事を紹介してもらったのだが、やはりそれでも幾つかの点で疑問がある。

https://note.mu/ennmado/n/n78e83498df25

https://anond.hatelabo.jp/20180818141643

まず、前者は自称古書店の従業員か経営者で、後者は自称元大学図書館の関係者として記事を書いている。そして両者に共通するのは、高知県立大学図書館のやったことは全て「通常業務」の範囲内であって非難されるべきことではないというものだ。もちろん、永久に図書を買って溜め込み、容積がなくなるたびに図書館を巨大に増築していくことなど大学図書館はおろか公立図書館の責務ですらない。容積や管理予算に限りがあるのは自明と言ってよく、また新しく図書を購入する必要もある以上、何らかの基準で或る本は残し、或る本は処分するのは司書なり図書館運営事業者の責務と言ってよい。というか、そんなことは司書でなくても多くの人が知っていることだし、今回の高知県立大学図書館の件は、それ以外の事情を知らない人々が騒いでいるわけでもあるまい。

まず、重複している本を処分したからいいだろうという話は妥当だろうか。昨今は公立図書館どころか大学図書館ですら、購入してから10年後には当人が勤める古書店が一冊100円ていどで投売りするような「直木賞受賞作」の類を10冊も20冊も購入しているという。(得てして偏差値の低い大学に限って)大学図書館が CCC も同然の通俗的な蔵書方針に舵を切り始めているのは事実であり、古典的な著作を学生に順番待ちで読ませる一方で、どのみち数年後には『オール読み物』などでエロ小説を書くのが運命であるような無能どもの受賞作を一度に大量に配架するのではないかという疑義が残る以上、単純に1冊は残るなどという理由で処分が妥当と言えるかどうかは分からない。

「吉川弘文館がオンデマンド版を出してもおります。」

バカか。買えるから処分していいというなら、全ての図書を処分して蔵書がゼロになっても同じことではないか。また、他の版があるからいいとか、何を専門にしている古本屋の人間なのかは知らないが、文献史学や国文学のド素人が何の根拠があって一つの版だけあればいいなどと言うのだろうか。

それから大学の図書館関係者と称する人物の文章についても、司書が書籍に関する取り扱いのプロであることは言うまでもないが、取り扱いに関する広報なり告知、あるいは処分や購入に関するマネジメントについても司書が何かをやったりやらなかったりを判断できると見做しているように思う。しかし、それは錯覚だ。

「専門の古本屋に蔵書印削除や廃棄等の手間賃を差っ引いて箱単位で買い取ってもらう。←事務手続き多め。新設図書館開設時には忙しくてやってらんない。」

新しい図書館への移転が3秒前に決定したとでも言うのだろうか。そんなはずはあるまい。少なくとも移転先の建設予定が立つ前に移転は分かること(だって発注側なんだから)なので、図書館の規模にもよるが1年以上は前から移転は司書にも通達されているはずである。ということは、移設先に何冊の本が入るのかもわからないで、建設が完了するまで、高知県立大学の司書は館内でハナクソでもほじっていたのだろうか。「開設時」になって始めて図書の処分を検討するなんて、新商品を発売する前日になって宣伝や広報の算段を電通に相談するようなものだ。もし高知県立大学の図書館のマネジメントがこのていどなら、一般企業であれば試用期間の満了を待たずに解雇するレベルだ。こんな人間をマネージャどころか正社員にするなんてリスクを犯す企業は、恐らく取引先のバカ息子を押し付けられたとか特殊な事情があるとしか思えない。

それに、古本屋への取次ぎに手間がかかるというが、

http://www.u-kochi.ac.jp/soshiki/7/kisyapon2018.html(高知県立大学 古本募金 開始のお知らせ)

こういうことを用意して始めているわけだよ。それに、高知県立大学のサイトで調べると図書館の移設は「高知県立大学永国寺図書館の蔵書の除却について」という記事によると4年も前から準備を始めて、処分する本も学内の教員が参加して決めたという。捨てるという方針にしろ捨てるものの基準にしろ「業務」の範囲かもしれないが、大学図書館としての機会費用を考慮したのかどうかが疑わしい。

「郷土資料の保存や収集は公立図書館や博物館の役割で、県立であっても大学図書館が担う必要はないように思う。」

なら、どうして郷土資料を公共図書館に委譲するといった手続きをとらないのだろうか。僕は幾つかの大学図書館で大学のある地域の郷土資料が置かれたコーナーを見かけたことがある。大学によっては、所在地の地域住民もステークホルダーと見做していることもあろう。今回の一件で、高知県立大学の図書館は県立大学でありながら、所在地の地域資料を(増やしはしなくても)保管するという目標を放棄したということになるのだろう。これを、やった後で仕方が無いなどと言われても、取り返しのつくこととつかないことがある。そして、今回の迂闊な処置の結果は、取り返しのつかないこと、つまり本ではなく県立大学の図書館は地域というステークホルダーのことなど軽視しているのだという印象を与えたことにポイントがあるのだと思う。デジタル版が残ってる? 三下の感覚で図書館運営という事業全体のリスクを判断するとはね。

http://www.u-kochi.ac.jp/~bunkagak/curriculum/subject.html

これは高知県立大学の「地域文化創造系」と呼ばれる履修科目群のカリキュラムだ。「土佐地域文化資源論(歴史)」や「文化と統治システム」といった科目が並んでいるが、自称元図書館関係者の(ていどの低い)原則論からすれば、この大学では自分達が教える科目に関する資料を公共図書館に依存する方針をとることになるのだろう。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook