2018年08月28日に初出の投稿

Last modified: 2018-08-28

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「ひとつずつですが、未来へ。」 多様性の尊重篇(30秒)

会社の休憩室で昼ご飯を食べているときに、誰かが観ていたテレビからコマーシャルのナレーションが聞こえてきた。喫煙について「多様な価値観が認められる世の中」と言っているのが記憶に残ったので調べてみると、やはり JT のコマーシャルであった。

もちろん、日本において喫煙は違法行為ではない。しかし受動喫煙が他人の健康を害することは既に国家ですら認めている事実である。

「健康増進法の一部を改正する法律(平成30年法律第78号) 概要」(厚生労働省)

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000189195.html

したがって、喫煙自体は適法だが他人の健康を害する行為であるという事実と考え合わせると、自宅の自室で喫煙したり広大な場所で(許可されていればだが)喫煙したり、喫煙が可能なホテルの居室に一人で宿泊したときに吸うのが望ましいと言える。しかし、他人の面前で喫煙するような行為を権利だの自由だのと言うのは、いまや全くのナンセンスである。そして、これをもって、都内の物書きや有名大学教員といった思想的なチンピラどもと一緒に「嫌煙ファシズム」などという奇怪な観念を創作して振り回すのは、文化や知性という点でも恥じるべきであろう。こんな恥知らずな観念を振り回している著述家や知識人など、後進国にすらいない。そして、自分がやりたいことを禁じられると脊髄反射的に「自由」がどうのと言い始めるのは愚かでしかない。そもそも喫煙やヘイトスピーチや飲酒など、多くの事柄について、われわれは「自由」に行う権利どころか裁量すらもってはいないのである。

このようなことを「自由」と言うのは、仕事場で机の横におまるを置き、したくなったらその場でウンコする人を何も感じずにいるようなものだ。高校生が大学の入試面談で、試験管の面前にて喫煙する「自由」をもつと言えるだろうか。新卒社員が部署の営業会議へ出るのにチューハイを持ち込む「権利」などあろうか。また、バカがフェミニストや在日朝鮮人や部落の人々や生活保護を受けている人々に内心としてどういう妄想を抱こうと勝手だが(その自由はバカにも保障されているぞ、喜べ)、その妄想をもってしてヘイトスピーチを口にする「自由」など最初から日本には存在しない。

なお、僕は元喫煙者だ。18歳の頃にバイト先で先輩に吸わされてから数年前まで、約30年ほどタバコを吸っていた。既にやめているから喫煙者を「叩きやすい」という指摘も可能だろうが、少なくとも僕は、たとえ現在もタバコを吸っている喫煙者のままだったとしても、都内に蛆虫と同じくらいいる、伝手だけで本を出版している夥しい数のライターや大学教員のように、自由だのファシズムだの権利だのとセンチメンタルな喚き声を上げるような厚顔無恥ではない。(そもそも喫煙者だった頃から、子供や高齢者や初対面の人の前で勝手に吸うことなどしなかった。)

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