2018年06月04日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-04

タウンページに登録されている職業分類「たこ焼店/お好み焼店」の件数は、どちらもここ10年間で減少傾向にあります。「たこ焼店」は、2004年の3,625件から2013年の2,998件まで約20.9%減少しました。

粉もんNo.1対決! たこ焼きは大阪府!お好み焼きは広島県!

出来るだけ使うのは避けたいところだが、僕も「一般人」という言葉を使うことがある。自分ではないが、特定の他人でもないし、それ自体では良し悪しや優劣を示唆したい人々でもない。かといって「庶民」というのは何か古臭いし、「市民」だと左翼みたいだし、「生活者」などと日本の広告代理店が多用する都内の軟弱大学生のような言葉遣いもむかつく。また、「国民」などと国を持ち出す必要はないし、「世間」なんて演歌歌手かよ。ということで、「一般人」と書いてしまう。

しかし、もちろんそう書いたからといって、何か一般化しうる妥当なことを言っているわけでもなければ、言おうとしているとすら限らない。濫用するのは愚かなことだろう。「一般人にとって哲学など暇つぶしでしかない」と書いたとして、果たして「一般」の人々と言い得るだけの膨大な数の人々が、具体的に「哲学など暇つぶしでしかない」と積極的に侮蔑するほど気にしていたり判断しているのかと思ってみれば、恐らくそうではないだろう。尊ぶにせよ侮蔑するにせよ、一部の人たちは哲学を気にしているかもしれないし、一部の人たちは単に哲学についての情報なり他人の評価を知らないまま無視している(というか、敢えてするような無視ではなく、そもそも眼中にないということ)かもしれない。したがって、「一般人にとって哲学など暇つぶしでしかない」という言明の真偽を議論する以前に、一般人などと言えるほど多くの人が哲学に気を払っているとは思えないのであるから、この言明が偽であるとは言っても、それは哲学が暇つぶしではなく何かの価値があるという意味ではない。

おうおうにして、「一般人」という言葉を使って何かを論じるときに、僕もそうだと思うが、乱暴な一般化によって ad verecundiam(「一般」という多数の人々が権威として有効かどうかはともかく)とか ad populum として知られる詭弁に訴えている恐れはある。「一般的に言って、」大阪の人間は、実はたこ焼きなんて殆ど食べない。これは僕は正しいと思っているが、一般化するような話ではないのかもしれない。調べてみると、上記のようにタウンページの会社が統計をとっており、まずたこ焼き屋がどんどん減っていることが分かる。たこ焼き屋の数について書かれているコタツ(コピペ)記事の大半は、この統計データをもとに騒いでいるだけなのだが、2018年現在だと更に減っていても想定内だ。なにせ、小麦粉は2012年から継続して値上がりし続けていて、タコは養殖できないので近年の漁獲量の減少から価格が上がっている。大阪市内では、既に1個あたり50円が相場となっていて、とても子供が小遣いで食べるようなものではなくなっているのに、大人がわざわざ食べるものでもない。僕がふだんから歩いている船場(但し中央大通から北に限定)で見かける店は、既に閉店したが淀屋橋の Nex-t1 にあった会津屋と、高麗橋の HAPPY ACHAKO くらいのものだ。僕が住んでいる地元の周辺だと、かなり歩いた先の商店街にしかない。そして、もっと下町に行けばたくさんあるというわけでもないのだ。しかし、これだけで「一般的に言って」と言えるわけでもなく、僕が知らない地域、たとえば住吉区とか鶴見区といった地域では、たこ焼き屋が(タコを昔の 1/4 くらいに切り刻んだり、たこ焼きそのものの大きさを小さくして)繁盛している可能性もある。

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