2018年06月19日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-20

父は太平洋戦争で戦死をしています関係で鹿持雅澄の直系である事を聞く機会がありませんでした。

祖父からはウスウスと聞いていましたが

祖父が亡くなりまして、その遺品の中に[系図]やら鹿持 雅澄 翁の書き残しましたものが、かなりな量ありまして

初めてハッキリと識りました。

[mixi] 鹿持 雅澄 翁

「知る」という言葉を「識る」と表記したり「言う」を「云う」と表記するのは、それなりに年配の方だろうと思う。「薄々」を「ウスウス」、「はっきり」を「ハッキリ」などと片仮名で書くのも、僕には戦後生まれの年配の方によくある傾向だと思っている。10年前に息子さんが21歳だったというから、30歳くらいで息子さんが生まれたとして mixi のコミュニティを作った当時が51歳ということだから、現在は62歳くらいと推定できる・・・のだけれど、僕よりもせいぜい10歳くらい年上の人が「知る」を「識る」と書いたり「言う」を「云う」と書くなんて、ちょっと信じられないんだよね(ちなみに、僕はそんな言葉遣いは80歳になってもしないと思う)。そういう言葉遣いが親とか見聞きする周囲の媒体(新聞や雑誌や書籍や公的書類や街中の広告や誰かとやりとりする手紙など)に溢れていれば身に着くだろうけれど、少なくとも1950年代の後半に生まれた方なら、学校で教わる言葉はもちろんのこと、周囲で目にする媒体に、そんな言葉遣いが残っているとは思えない(言葉を書いて覚えていくのが10歳くらいだと想定すると、僕が生まれた1960年代の後半に目にしていた言葉に影響されていたことになる)。したがって、この方はわざわざ戦前の人々が書いた文章を読んでいたとか、あるいは何らかの経緯があって古臭い言い回しや表記を自分で調べて使っているようにも思える。たとえば、歴史的仮名遣いの推進者が旧字体をわざわざ勉強して使っているのと同じようなことだ。

しかしいずれにせよ、僕はこの mixi コミュニティに書かれたことだけでは何とも真偽をつかみかねる。ネトウヨがジジイのふりをして書いているようにも見えなくもないからだ。そもそも直系の子孫であることを明言しておきながら、自宅に残っているという遺品の題すら一つも書かないというのは信憑性が低い。父親が従軍されて亡くなっているらしいので雅澄について話を聞いていなかったとのことだから、小関清明さんがご自宅に所蔵されている資料を閲覧されたであろう昭和30~40年代にかけて対応された方々は、この mixi 住人の祖父ということになる(雅澄の子孫であれば飛鳥井、長崎、刈谷各氏のいずれかとなろう)。年齢が離れていると聞きそびれていることも多いとは思うので、もし本当に子孫であれば資料を有効に活用してもらえる大学なり公共機関に寄贈でもされた方がよい。

それに、調べてもネットで検索したくらいしか分からないというが、これも僕にはちょっと信じられない。関心があって、もし高知市内に住んでいるなら、ネットで検索などしなくても高知市民図書館に雅澄に関する資料はたくさんあって、『幡多日記』の復刻本(原本ですらない)のように殆どネットでは言及されていない書籍もある。もちろん、本当に自分が(単に雅澄が好きで古書をかき集めていた、全く無関係な人の子孫だったというわけでもなく)雅澄の子孫であると思うなら、小関さんに学んだ国文学者がいるかもしれないので高知大学へ問い合わせてみるのもいいだろう(というか、検索すればそのくらいすぐに分かるはず)。

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