2019年04月23日に初出の投稿

Last modified: 2019-04-23

これまで何度か指摘してきたことだが、僕はまず文体や語感の問題として、熟語をわざとカタカナで表記する人々のセンスがよく分からない。「東大のセンセイたちは」などと老人や左翼学生が書くのは、まぁ何かの中てつけなのだろうとは思うが、日本語の表記として単純に不愉快で汚い。書いている当人は「せんせい」という表現そのものを書きたくないという意図を、敢えて歪んだ表記で示唆したいのだろうとは思うが、僕は寧ろ書いている人間の品性の方に疑問を覚える。

そもそも、歴史学や考古学をかじっていた者の知識の範囲で言えば、カタカナ表記というのは昔から無学の証みたいなものだ。たとえば「咀嚼」という漢字が書けない、あるいは知らないから、カタカナで音を「ソシャク」と記していたのである。僕から見ると、そういう識字率の低かった時代の人々と同じ外形なのだが、現在は小学生の小遣いでも買える国語辞典があるし、IME という手軽な道具もある。したがって、無知を補う手段はいくらでもあるはずなのだが、敢えてカタカナで表記するというのは、なにかしらの思い入れがあるのだろう。しかし、それを僕ら読む側がいくらでも斟酌すると思ったら大間違いだ。

そして、よくイラストレーターやデザイナーとかでフルネームや下の名前だけをカタカナで表記する人がいる。これについても、僕はデザイナーの端くれとして理解に苦しむセンスだと言いたい。もちろん、これも敢えて推定するなら幾つかの予想はできる。漢字で表記したときの文字から受ける印象が、自分のセルフ・マネジメントにとって有害だと思っているのかもしれない。しかし、もしそういう動機でカタカナにしているのであれば、改名は法的に禁止されているわけでもないのだし、ちゃんとお金や頭を使って裁判所を説得すればよいのである。自分のアイデンティティにかかわる重大事だと思えば、さきにそれをやるのが道理というものだろうが、果たしてカタカナ・ネームを使っている僕ちゃんやお嬢ちゃんの何人が実行しているだろうか。しょせん、そんなことも考え付かないていどの連中が言う「アイデンティティ」など、子供が飴玉を欲しがっているのと同じであり、とりわけ商業デザインを任せるには全く程遠い人々である。

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