2017年12月28日に初出の投稿

Last modified: 2018-01-29

竹内健‏ @kentakeuchi2003 日お金をかけるのに、最先端の研究を大学とやるのに、はるかに低い金額しか出さない。一方、海外の大学には桁違いのお金を払う。「それが相場だから」と言われるけど、金額の多寡よりリスペクトの無さに、協力する気が失せる。これなら海外企業がまし。

https://twitter.com/kentakeuchi2003/status/945860672809680896

どこの国や社会であれ有能な人材の成果に凡庸あるいは無能が依存するのは自然なことだ。税制の累進制は、実はグローバルに考えると一部の金持ちから税金を何割増しで取ったところで大した意味はないのだが、累進制という考え方に「先を走るものへしがみついて進む」という、凡人に最適化した社会制度の思想が見て取れる。もちろん、これはバカにして言っているわけではなく、こう言うのが適切かどうかは分からないし、これも一つの皮肉に聞こえるかもしれないが、逃れることなどできないヒトの限界にもとづく「リアリティ」なのである。

したがって、はっきり言えば子供に哲学なんて教えてる暇があったら、そもそも知識や学問や実験といった営為や仕事の「実務」に対する理解と敬意を育てることを優先した方がよいと思う。そして、そのためにも、たとえ小学校の教員だろうと(形式主義なのは分かるが)学位を要求するのが適切だと思う。自分自身が学術活動というものに携わっていない、端的に言って学問に関する素人としか言いようがない日最適化だけをはかっていると、恐らく人類の文化や存続という全体最適化としては行き詰まるだろうと思う。社会を防衛するためには、もちろん個人の意思や意欲を極端に削いだり否定する社会主義的・全体主義的な制度は可能な限り抑制しなくてはならないとは思うが、「制度」や「政策」や「法律」というものは、本質的に人々をコントロールするものであり、これらに対する民主的な決断というものは自らが有限であることを認める人々による、自身の能力に対する疑いや謙虚さの結果でもあり、否定するだけでいいというものでもない。

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