2019年11月20日に初出の投稿

Last modified: 2019-11-20

まだ single issue website の話を続ける。

僕が single issue website を推奨したい理由の一つとして、クソみたいな JavaScript や視差効果を利用した背景画像の鬱陶しさはともかく、single page にコンテンツを集約するという SPA のアイデアそのものは single issue website に準じるサイト設計としてあってよいと思うからだ。実際、情報商材を扱う LP に一定の効果があるという事実を知っている人であれば、この程度のことはわざわざ強調するまでもないと感じるだろう。もちろん、もともとは文字通りネット上のチラシである LP だが、ウェブのコンテンツらしくアクセス解析やら、パーソナル・データの詐取やら、問い合わせフォームの実装はもちろん、そのまま商品を購入する決済フローに送ってしまえるという紙のチラシにはない利点がある。

そして僕は、ウェブ・ページのデザインを担当する人々の大半は、プロダクト・デザインとしての商業デザインを担う以上、KPI に何の寄与があるのか証明されたことがないクリエーティブなど脇へ置いて情報商材のページ・デザインや文書作成や情報設計に学ぶべきだと言ってきた。一つのページに集約して、伝えたいことを簡潔に伝えつつビジターの興味を維持するという手http://md.localhost/_admin/edit.php?date=20191120102807法は、海外の Flasher が何の数学モデルでビジュアルを設計していようと商業デザインの世界では適うものではない。実際、中村勇吾とかジョシュア・デイヴィスなんて名前を知ってる人も少なくなってきたと思うが、単に建築や数学を商業デザインに持ち込むだけでは、奇抜な見栄えとコンピュータ・グラフィックス特有の複雑な動きで10年くらいは一世を風靡できても、そのような客寄せのテクニックが簡単に自動出力できる時代になってコモディティ化が進むと、現実にそういう視覚効果がブランディングや商品の売り上げにどう貢献するのかを論証も実証もできない人々は、現実世界での実績を上げなくても済む大学の教員かコンサルにでもなる他はなかったのである。

それから、SPA や single page website に共通するサイト設計を僕が支持するもう一つの理由として、ヤコブ・ニールセンのような、ユーザビリティの専門家と称する人々の言っていることは、実はかなり怪しいという実感があったからだ。彼らもまた、いまでは忘れられた存在であると言える。常識的な判断を越えてユーザビリティをどれだけ改善しても、コンテンツや商品やサービスの質という決定的なところで凡庸な既製品やクズみたいなサービスを売っているだけの事業者が大半を占める世の中では、ユーザビリティの向上が寄与する成功事例など、ユーザビリティと関係なしに成功する事業者の割合と殆ど変わらないというのがビジネスの真理というものだろう。結局、アダルトサイトのようなユーザビリティのダーク・パターンの宝庫とも言うべきものが端的に実例となっていることから分かるように、欲しいものがあればサイトの使い勝手など大して重大な問題ではないのだ。

そして、彼らユーザビリティの専門家が主張してきたアドバイスには、明らかに僕が彼らの見解を目にした当時から間違いだと思うようなことも含まれていた。その一つが、コンテンツは分割して公開し、ページの読み込み時間を短縮するべきであるというものだ。確かに、サイト全体の設計として数々の画像が使われているのであれば、そういう意見も妥当な状況があると言える。しかし、サイトの読み込み時間という問題は、画像ファイルが多かったり大きすぎるということだけに原因があるわけではなく、現にいまのウェブ・ページは2000年代の初期よりもネットワークそのものは速くなり、CDN などのキャッシュ・サービスもたくさんあるのに、大して読み込み速度は改善されていない。それどころか、個人サイトの多くは(自力で HTML が書ける人であっても)むやみに CMS を使うようになって逆に大半が遅くなっている。そして、最近ではページごとに表示する広告の内容やビジターの挙動を解析したり外部のサーバと通信する仕組みが多くサイトに実装されている事情もあって、ページを分割すればするほど全体としての UX 品質は低下する。ニューズのサイトや、いわゆるメディアと称するサイトで、本来の記事として公開されるべき文章が数行しか掲載されずに、何ページにも記事が分割されている事例は既に当たり前となっているし、Twitter やニューズ・サイトに広告として頻繁に出てくる裏話的なストーリーを紹介するサイトでは、平均しても1本の記事を最後まで読むのに30ページほどに分割されたページを次々を読まされる。

これは、僕がヤコブ・ニールセンの『ウェブ・ユーザビリティ』の第一版が出た2001年頃から言ってきたことだが、マニュアルのような体系的で膨大な文書でもない限り、そもそもページを分割して伝えなければいけないような文章は、別々の記事として公開するべきなのである。一つのテーマを章立てにする必要はなく、それぞれの章立てを独立した記事として掲載すれば、実は SEO としても一つのテーマについて複数のリソースをもつ充実したサイトとして評価される可能性があるし、読む側にとってもページごとに要点がつかみやすい。つまり、single page で明解に伝えられないようなメッセージを、しょせんはコンテンツそのものの理解についても文章力についても素人にすぎない人々が適切に伝えるのは無理だと思うからだ。何度かここでも書いているが、成人の9割は実際のところ母国語ですらまとまった分量の文章を書く能力がない。僕らのように学術論文の作成(論文というものは安楽椅子で気ままにエッセイを書き散らしているわけではないので、「執筆」と呼ぶのは不適当だと思う)という訓練を受けていたり、高校時代から論文の書き方について調べたり友達と批評し合ったりしていたならともかく、大半の人々はそんな経験などなく、せいぜいデタラメな水準の「論文」とすら言い難いような卒論を書いた経験が限度だろう。したがって、長文が好きなアメリカ人だろうと要点は同じである。自伝や印象に残った出来事をだらだらと書き連ねているだけならともかく、何らかの明確な主張やテーマをもつ論説を他人に読んでもらいたいというのであれば、原則としては1ページで伝えられるように書くべきであって、雑に書き散らしたものをどうやって分割するかなどということを考えていてはいけないのである。そして、ヤコブ・ニールセンの時代においてすら、ページを分割すると2ページ目以降の画像はキャッシュされるから読み込みが速くなるなどという神話を信じていた、技術力のないコンサルタントがたくさんいたのだが、実際には画像ファイルの URI にも解析用のクエリが自動で追加されており、読み込むたびに異なる URI として処理されるために、2ページ目以降の画像の表示が速くなるサイトなど、寧ろオンライン・マーケティングとしては出来の悪いサイトだったのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook