2018年06月22日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-22

昨今、さほど普及しているとは言えないものの、IoT のリスクについては幾つかの実例が報じられ、やれ子供のおもちゃに付いてるカメラを遠隔からのぞき見られている恐れがあるとか、やれカーナビや自動運転車の操作を他人に奪われるなどと言われる。ネットワーク通信を経由した事例を何でもかんでも「IoT」だと宣伝している限り、同じようになんでもかんでも「IoTの恐怖」と騒がれるのは自業自得というものだが、もともと the Internet of Thinkgs と呼ばれる "things" の中に従来のサーバやネットワーク機器が当然のように含まれるなら、これまた従来のセキュリティ・リスクも「IoTのリスク」だと騒がれるのは、論理的に言って何の問題もない。つまるところ、リスクが多くの対象に拡大され、更に色々な情報が遠隔で取得される仕組みが普及しつつあるという正しい理解が進めばそればいいのだ。

しかし、「IoTは危険だ vs. IoTを安全に使おう」というのは、実は対立ではない。というか、実際には危険だから安全にしたいというのが両者の考えていることだろう。本当の対立は、もちろん「IoTは(安全には使えないので)使わない vs. IoTを(安全に使えるなら)使おう」というものである。そして、どちらを声高に騒いでいる人々も、実は括弧に入れている論点をはっきりさせることが大切なのに、括弧の外側に出ている「使わない」「使おう」ということを言いたいがために、それぞれの論証を軽視している。そして、前者は「危険だから」というただの印象で騒ぎ、後者は「便利だから」というただの印象で騒ぐ。そして、こういう表面的な大騒ぎを、どういう結末になるかはともかく煽り立てているのが、マスコミや広告代理店だけではなく、実は業界団体と行政機関なのである。なぜなら、こういう大騒ぎが終結した地点こそ、彼らが業界標準や工業規格、あるいは法律を整備しても「怒られない」基準点になるので、そういう地点が決まるまでは世間に大騒ぎさせておく方がいいからだ。

したがって、このような大騒ぎに左右されず、しかもこういう大騒ぎを傍観しつつ法律や業界ルールを決めようとする連中に後から足元を抑えられないためには、「一定のリスクがあるので安全にする」という実は非常に常識的なアプローチを貫徹することが望ましい。もちろん、そこではリスクも利便性もどちらも加味して評価し、使えるものは使い、使えないものは使わないという当たり前の個別判断で対処する。

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