2017年02月23日に初出の投稿

Last modified: 2017-02-23

ここ最近、帰宅する途上で自転車に乗った人がいきなり大声を上げる場面に出くわす機会が増えた。後ろでそういうことをされると身構えたりするわけだが、ハンズフリーで電話あるいは音声メッセンジャー・サービスを使って会話している連中である。また同じく、特に女性は携帯やタブレットを覗き込みながら歩道を我が物顔で直進する人が増えた。向きを変えるのに多大なコストがかかる老人ならともかく、20代や30代で他人に道を譲らせるなど情けない。30年前のメッシー君やアッシー君がいた世代の母親に育てられた、単なる傲慢をフェミニズムと混同したり、「おんな」なら何か不道徳な行いをしても(男からは)免責してもらえると思い込んでいる阿呆だろうか。

こういう人々は、もしかすると本人たち自身は「歩行」という無駄な時間の有効活用だと思っているのかもしれないが、迷惑がかかる多くの他人の行動する効率は落ちるわけであって(一人を多数が避けなくてはいけないのだから)、収支では社会全体でマイナスだと思う。こういう、主観の範囲、あるいは「セカイ系」と言ってもいいのだろうが、そういう凡俗の推論の力や動機づけが及ばない範囲では「それなりに合理的」な部分最適化は日自身のあらゆる行動について弁解や正当化の根拠にできると思い込むセンチメンタリズムでしかない。

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