2019年05月23日に初出の投稿

Last modified: 2019-05-24

まず、私が教員として関わってきた大学の英語入試問題の採点結果を振り返ってみたい。出来が最もよかったのが、90年代前半の団塊ジュニアの受験生たちだ(受験者数も最大だった)。その後、とりわけ2000年代に入ってからは、毎年私たちがどんなに問題をやさしくしようと努めても、採点結果は悪くなる一方だった。何より印象的だったのは、以前は受験生の平均点が一番よかった「英文和訳」が逆に最も出来が悪い問題になったことである。0点が圧倒的に多くなってしまった。つまり、普通の英文が読めない受験生が圧倒的に増えてきたのだ。

日本人の英語が上手くならない理由 『日本人の英語』著者が斬る30年間の変遷

いっとき、インターネットが普及して~という馬鹿の一つ覚えみたいなフレーズが繰り返されて、誰でも英語のページが「読める」ようになったし、アメリカ人と MMORPG などで「コミュニケーションできる」ようになったから、日本の若者はどんどん英語ができるようになるであろうなどと言う人もいた。当サイトの英語の勉強について書いているページをご覧いただければ分かると思うが、そんなことはありえないので、僕は最初から全くそんな馬鹿話は信じていない。現に、若手の社員や堂島近辺で行き交う人々を見ても、英字新聞を手にしているのは、やはり日本で働く外国人であり、若手の大半は英語なんて全く読み書きできない。英語を勉強してるという他の社員と "Good morning!" だの "Hey" だのと片言の決まりきったフレーズを繰り返しているだけだ。社内でやりとりする業務上の連絡内容を英語で話している場面など、お目にかかったことは一度もない。(とはいえ、当社には英語を運用できる社員が社長を始めとして何人かいるのも事実であり、ディレクターはよく外資系企業を担当していた。でも、社内での会話は完全に日本語だ。)

上記の冒頭で書いたように、通信技術や通信サービス(もちろん「たかが」と言うつもりはない)が普及したくらいで何か劇的な変化が起きるとバカみたいなデタラメを吹聴してきた連中のトリックは、「読める」とか「コミュニケーションできる」という表現に隠されている。これらは、いわゆる "achievement" が含意されている論点先取の表現である。つまり、「読める」という表現は、そもそも英語のページにアクセスしなくてはならず、そうする動機や目的がなくてはいけない(そして、大半の日本人にそんな動機なんて実はない)という重大な事実を胡麻化しているのだ。また「コミュニケーションできる」という表現は、コミュニケーションをとる目的や動機や機会が双方になくてはならず、単に MMORPG でアメリカ人のユーザも同じサーバでプレイしているというだけでは、コミュニケーションをとらなくてはプレイできないという条件でもない限り、誰もわざわざ英語で相手に話しかけようとしたり、話しかけられるようにそもそも英語の勉強をしようなどとは思わないという事実を無視している。

ピーターセンさんが記事の最初に書いているとおり、たいていどこの国においても、外国語を必要として実際に習得して使うのは、せいぜい1割もいれば多い方だろう。そして、当然のことだとは思うが、その国が一定の基準において《豊か》であり、生活するのに国内のサービスだけで何不自由なければ、外国語を覚えるなどというのは単なる道楽の一つにすぎない。そして、そういう状況で生活している人々を英語の教員や外資系の経営者が難詰する権利など全くないのである(もちろん外国語を勉強する必要がないというだけのことで、外国語を学ぶ人について何か文句を言ったり冷笑するような、ていどの低いナショナリストになる必要もない)。したがって、大半の人々が英語を学ぶ必要などないていどに日本が豊かで自足した状況にあるなら、別に何も困る必要はないだろう。そして、困った状況になれば、それぞれが必要に応じて外国語(これは強調しておくべきだと思うが、必要に応じて学ぶのが当たり前なのだから、何も英語である必然性などないのだ)を習得すればいいだけのことである。ピーターセンさんは英語について書いているので、或る程度のバイアスがかかっているのは仕方のないことだが、外国語の運用という観点で議論すれば、彼もこのように書いていたのではなかろうか。

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