2019年05月18日に初出の投稿

Last modified: 2019-05-18

選挙制度の本を読んでいると、やはり日本の研究者というのは社会科学者としてのセンスのなさを感じる。

まぁ《いいひとたち》なんだろうなぁと思うけれど、他人から与えられた制度や学問や理論の枠内でしかものを考えられない人々というのは、どれほど数学や歴史資料を駆使した精緻な議論をしていても、やはり金持ちの道楽というか底の浅いものにしかならない。そして、社会科学の理屈は現実の行政や人間関係にも応用できるので、軽率にそれらの理屈を応用してしまう人々が出てきて混乱を引き起こしてきたという不幸な歴史もある。あたまでっかちのマルクス主義もそうだし、あたまでっかちの保守反動もそうだ。そして、ここで言う「あたまでっかち」というのは学識のことではなく、観念だけに支配されてものを考えたり判断しているということであって、僕がふだんから言う「凡人こそ観念論者である」という理屈と同じ趣旨がある。

社会科学の基礎にある透徹した人間観の一つとして、たとえば「民主主義」という概念を一つ選んでみても、「民」というのは、はっきり言って小平のような田舎のカフェで《熟議》などという暇潰しに興じるプロ市民などではなく、まったくの凡人、凡俗なのである。現代の理論家が統計やモデルを駆使するのは、彼らが冷酷な(笑)数理的な人間観を抱いているからではなく、凡俗による凡俗のための凡俗による社会システムを考えるにはそれしか正確に理解する方法がないからなのだ。無能もふくめて、何の取り柄も無ければ、社会をよくしたいとい意欲もない人々が、現代の「民主主義」のメインプレイヤーである。それゆえポピュリズムが跋扈するわけで、こんなことくらい社会科学系の学部を出ていなくても分かるだろう。

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