2018年05月11日に初出の投稿

Last modified: 2018-05-11

しかし、厳密な企業秘密がプライバシーはリッチで権力を持った人のためのものという考えを強固なものにしたとしても、プライバシーはやはり必要不可欠と言うわけではない。AmazonやFacebook、Google、そしてAppleまでもが秘密を明らかにしたところで、大した差はないだろう。同様に、普通の人が公共セキュリティのために個人のプライバシーをあきらめたところで、やはり大きな違いはない。皆が互いの職業を知っているコミュニティーでの暮らしは、アパートで住民が互いの名前も知らないというような暮らしに比べ自然で、間違いなく健康的だ。公共のセキュリティは必要不可欠であり、個人のプライバシーはあればいいというものなのだ。

個人のプライバシー vs. 公共のセキュリティ

上記の引用は原文と照らし合わせてみると、あまり良い訳とは思えなかった。そこで、Google+ で探してもらえばいいが、この記事は全体を段落ごとに翻訳しなおしてある。全体をここで掲載するのは違法だと思うのでやらないが、一つの段落だけなら、ここで紹介してもいいだろう。

「でも、企業機密を厳重に守ることでさえ、プライバシーは金持ちや権力者の贅沢品だという考えを強めるだけであり、いぜんとしてプライバシーはあってもなくてもいいものでしかない。Amazon や Facebook や Google や Apple までもが、機密を守るために実施している規則や予定表を公にできたとしても、そういう事について大きな違いなどないだろう。同じく、公共の安全という名目で人々が自分たちのプライバシーを放棄しなくてはならなくなっても、そこには大して違いなどないんじゃないだろうか。誰もが他人のやっていることを知っているようなコミュニティで生活することは、ごくありふれたことなのであって、隣人の名前すら知らない住人たちのアパートとでも言うべき、バラバラな機能不全に陥ったコミュニティよりも、議論の余地はあるにせよ健全なのではなかろうか。公共の安全は必要。だけどプライバシーは無くても別に構わない。」(当サイトの CMS は僕のオリジナルで、blockquote タグに相当する機能は実装していないため、「・・・」で囲んだ。)

原文も参照してもらえば分かるが、TechCrunch Japan では "arguably" を「間違いなく」と訳してる。それこそこんな訳は「間違いなく」ありえない。だが、オンライン辞典で訳語を確認してみると、例えば英辞郎では「ほぼ間違いなく、議論の余地はあるかもしれないが」という訳語を出しているので、読点を、幾つかの訳語を列挙する分かち書きのためのカンマと間違えた(要するにオンライン辞典から何も考えずにコピペした)んじゃないか(笑)。その他にも、TechCrunch Japan では意訳して省略しすぎていたり、色々と問題がある。時間に追われるのも仕事としては分かるが、どれくらいの時間で訳さないと時給として見合わないのだろうか。ちなみに、僕は幾つか調べたり訳語をそれなりに時間をかけて選びなおしたりしたので、記事全体で4時間くらいかかっている。

さて、では自分で訳してみて記事の内容について思うのだが、昨日は Jon Evans が「プライバシーの侵害について人々が心配しなくてはいけない社会」を悪い社会だと言っていると理解して、みんながそういうことを常に心配するような社会は確かに嫌な社会だし悪い社会でもあろうが、だからといってプライバシーについて何の心配もしなくてよい社会が良いというわけでもなかろうと評した。この点については、エヴァンスは幾つかのプライバシーの意味を区別しているので、一概にプライバシーがなくなることを大したことではないと言っているわけでもないようだが、それでも緊密な関係をもつ小規模なコミュニティでプライバシーがなくても問題ではないとか、嫌なら他の場所へ行けるとか、僕には軽口としか思えないようなことを言っているので、やはり賛同しがたい議論が幾つかある。そういうコミュニティは、逆に言えばプライバシーをなくしてもいいという人間たちだけで排他的に形成され維持されるものなのに、彼らの想定している「濃密な関係のコミュニティ」ならプライバシーがなくてもいいなどという話は、単なる農家や中世の牧歌的な風景を思い描いている、それこそ「お花畑」とか「ファンタジー」と言うべきプライバシーの理解に立脚した議論だと思う。

「お隣さんはそろそろ醤油がなくなるだろうから、あんた持っていってあげな。」

そんなことを、基本的に人権や法律の話をしているステージで持ち出すものではない。

そして訳してみた限りでは、どうもエヴァンス自身が motte-and-bailey argument を「プライバシー」という概念について持ち込んでいるように思える。なぜなら、いまやプライバシーというものは個人のものだけではなく、専門的には "group privacy" という概念が提案されていて、単に個人の病歴とか前科とか信仰が保護できればそれでいいという問題ではなくなっているからなのだ。たとえばすっかり話題にならなくなった「差分プライバシー」という概念がどうして登場してきたかという経緯を見てみると、個人を特定できる氏名や電話番号といった情報を削除するだけでは残った属性だけで(その個人も含めた)多くの人を一度に差別できてしまう。仮に、女性について癌の罹患率という統計を都道府県別に取って、大阪の罹患率が高いという結果が出たとしよう。それが大阪の全ての女性に対する結婚差別や保険会社の差別的な扱いの理由にならないという保証はないだろう。したがって、データが匿名化されれば公共の目的に使われる大規模な情報の集積となり個人を特定できないのだから、それは寧ろ個人のプライバシーの問題ではなく公共の安全の問題になるのだからどんどん集積された情報を使っていいなどという議論は、僕の観点では、集団を差別しうるリスクという懸念すべき問題を、公共の安全という(懸念するには及ばない? そうとも限らないと思うが)問題へすり替える motte-and-bailey ではないだろうか。

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