2019年04月14日に初出の投稿

Last modified: 2019-04-14

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誰でもない (韓国文学のオクリモノ)

雨の日はいつも遅い J:COM で、なかなか表示されないアマゾンのページから URL や書名をコピーしているうちに、何を書こうとしていたのかどんどんと忘れてしまう。晶文社のサイトからリード文をコピーしようにも、いったい1本の接続でどれだけの家庭に分岐させているのやら、およそインターネット接続業者として基本的なサービスを提供するつもりがあるのか、はなはだ疑わしいのだが、まぁそれはいい。

さて、著者のファン・ジョンウン(黄貞殷)さんの作品は、最近では『野蛮なアリスさん』という作品が翻訳されて一部の話題となっていたのを横目で眺めていたのだが、その前に、この「韓国文学のオクリモノ」というシリーズを書店で見かけて何か読んでみようと思っていたのであった。いつか書いた筈だが、文学作品は全く読んでこなかったので、色々な国の作家の作品を古典だろうと何だろうと読みたいと思い直したのである(ただ、全く毛嫌いしていたから読まなかったわけではない。高校生の頃は『ザ・漱石』とか『ザ・龍之介』といった1冊本を読破していたりしたのだが、ぜんぜん内容も読後感も覚えていないのである)。

図書館で借りて何度か延長した末に一ヶ月ほどかかって、さきほど読み終えたところだ。確かに訳者の解題にあるとおり、韓国の戦後史を学んでおいた方がいいと思える作品もあるが、単純に心理描写として荒んだ印象を投げつけられただけでも読む意味があったと思える作品もあった。たとえば「誰が」と「わらわい」は、どちらも若い女性の独白なのだが、どちらも読み進めているうちに独白している当人自身が壊れていく様子を目にして、なんとも言えない気分になる。そして、そういう気分になったという点で、翻訳の技量を高く評価して良いのだろうと思う。

それから、敢えて書いておきたいこととして、印象深かったものがもう一つだけある。それは、著者が「日本の読者の皆さんへ」と題して追加している文章だ。これはヨン様が日本のファンに宛てたメッセージでも見かけたことがあるのだが、韓国には「皆さんのご健康を祈ります」と書いて文章を終える、尊敬するべき習慣があるらしい。対して、日本の手紙の頭語と結語などは、既に形骸化して何の感情も意味も表していない、CGI スクリプトの shebang 行の下に書かれたコメント行よりも無意味なものに思える。英語の Dear や faithfully も同様だからこそ、メールでは誰もこんなものは書かないのだろう。韓国は、このような一行を書く文化を誇っていいと思う。そして日本の作家は、ノベール賞をもらおうと候補になっていようと、あるいは保守だろうとリベラルだろうと、この一行すら書けずに安っぽい政治や思想を臭わせるしか能が無いことを恥じるべきである。

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