2017年09月26日に初出の投稿

Last modified: 2017-09-26

タブレットは 10 インチのものを持っていて、もちろん中には数百冊の PDF ファイルが入っている。数学や物理学の教科書だとか、哲学雑誌の論文とか。でも、結局は使っていない。できれば書物として買って使いたいと思っている。僕にとって、書物というのはコンテンツとか「データ」とか「情報」に還元されるようなものではなく、やはり編集・製版・印刷・装丁・アセンブリなどの知見や技術が蓄積して適用されている「プロダクト」であるから、もちろん装丁が馬鹿げたできばえだからといって内容も馬鹿げているとは思わないが、詰めの甘さという意味では編集や著者の選定あるいはテーマの選択に何か愚かなところがあるというリスクも考えられる。最初から出版社なるものがコンテンツだけに専念する情報ブローカーであればともかく、いわゆる「ものづくり」の事業者でもあったわけだから、マーケティングたるプロダクト・マネジメントに抜けがあるような事業者は、やはり思想や学問を扱うに当たって何かが欠落していると思ってよい(もちろん、そういう点で完全無欠な出版社など海外でもないわけだが)。

ともあれ、僕にとってはいまのレベルの電子書籍は、単純にプロダクトとして話にもならない。だから使う気がしなくなってくる。それを、デバイスとコンテンツを区別して評価する「べき」だなどと言う権利はないのである。いままでこうして述べてきたように、僕は区別しないで評価してきたのだから、電子書籍だけ別の基準で評価することこそアンフェアというものである。

最も致命的なのは、電源を喪失すると無に帰するということだ。どれだけ重要な著作であり、どれだけ高額な商品であろうと、電池切れというだけのことで価値がゼロになる。そして、電子書籍でもしょせんは「ページ」という単位で HCI を設計しているので、ページとしての利便性を液晶画面上に全て再現できておらず、しかも原理的に紙媒体とは違うのだからシミュレート困難な限界がある(たとえば指で書物の小口を撫でてページ数のあたりを付けるというのは、検索に比べて生産性の高いスキルだと思う。検索でそれと同等の生産性を出すには、恐らく脳波を測定したり音声入力で何ページを開こうとしているかを処理しなくてはならない)。その他、液晶画面は読みづらいとか、すぐにメモを余白に書き込んだり波線を引いたり出来ないとか、解決はできると思うが、「僕が持っているデバイスではなしえない」欠点が幾つもある。それらは買い換えないとどうしようもないという、SFC などに蛆虫と同じくらい生息している産業太鼓持ちにとってはセールスの正当化になるだろうが、本質的には電子書籍の本質的な欠陥としか言いようがないことでもある。

ともかく、電子書籍の欠点を指摘すると「次のデバイスや OS によって改善される」とか本気で、真顔で言う人がいるんだけど、買い換えないと改善しないという時点で、正誤表1枚を公表すればいいだけの書物に比べて欠陥媒体だろう。つまり、SFC などという学部をもってる某 IT 産業界太鼓持ち大学とかに多いんだけど、産業界のプロフィットというロジックにハマって議論の枠組みを立ててることに全く気づかずに、純粋に技術論だけをしてると思い込んでる人がいるわけだよ。足し算とか ABC とか知ってて工学博士号とかもってても全くどうしうようもないバカっているんだなと、或る意味では感心させられることがある。

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