2018年08月12日に初出の投稿

Last modified: 2018-08-12

そもそもサマータイム制を導入する理屈って、人は「ふつうは」7時に起床して通勤・通学するものだといった、特定のリテラル数値(「7」)とヒトの生理や人の行動とのあいだに何か自然の関係や文化的な正当性があるかのような錯覚、もう哲学的にはもちろん社会学的にも社会心理学的にも crazy としか思えない先入観をあらわしてるんじゃないのかな。そして、これって要するに違う時間帯に働いている人、つまりタクシードライバーや看護婦や水商売や警察官や道路工事の職人さんとかを差別する構図に繋がってるわけで、「普通」とか「平凡さ」を捏造して凡人が他人よりも少しはマシな人間だと思い込みたいという心理だと思うんだよね。

それから「EU加盟国ではサマータイムが制度化されており」という話はよく聞くけど、そろそろ何の根拠もなしに「おフランスでは」とか言うのは止めませんか? 特殊な伝統によってヨーロッパの多くの国で特定の偏見がまかりとおっているという可能性をどうして考えないのか。僕は自分がコミットしている「哲学」ですら、ヨーロッパで始まった一種の思考の欺瞞ではないのかという可能性を考えながらものを考えるけどね(敢えて言えばニーチェやハイデガーやウィトゲンシュタインやフーコーやデリダは、そういうところで苦闘していたとも言える。ヨーロッパに生まれ育っていない我々だって、既に「アジア的」とか「東洋的」とか「儒教的」などと口走っただけで簡単にものごとを相対化できるわけではない)。

とにかく、現在の朝5時に相当する時刻から何かをさせたいのであれば、会社の始業時刻を7時にすればいいだけだろう。もちろん、時計は「時間」ではないし、それどころか哲学的に言えば「時間」が実在する保証もないわけだが、少なくとも時計の針(システムの内部時計も含む)を無駄に動かす必要など無い。

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