2018年11月29日に初出の投稿

Last modified: 2018-11-29

僕は昔から「人は自分がもっていないものを声高に求めたり尊ぶ」と思っている。ゆえに、「ものづくり精神」なんてことを言ってる連中は実は品質検査を長年にわたって誤魔化しているのではないかと思えるし、イギリス人が紳士だの騎士道だのと言うのは、しょせんヨーロッパでは長らく田舎者だったからだ。アジアの辺境で「和のこころ」などと言っている国では、古来より夥しい内乱や内戦を繰り広げ、人々は毎日のように過去の内乱をドラマや小説で楽しんでおり、しょせんはどうやって人を殺すかという話にすぎない逸話や戦術を覚えては、「歴史ファン」などと称して得意げに語っている始末だ。一度は小中学生時代に考古学者を目指した人間から言えば、こういう人々こそ、歴史に全く学んでいない「情報処理用の生体端末」にすぎない。こういうデバイスにどういう歴史の知識を入力しても、われわれから見ればそのデータの行先は、せいぜい良くて /dev/null でしかないのだ。

少し考えたら分かる事だ。なんとなれば、既に実現したり達成していることを目標にする人間などいないからである。オリンピックで金メダルを獲った選手が今後の目標を尋ねられて「1度でいいからオリンピックで金メダルを獲りたい」などと言うわけがないし、上場企業の経営者が中期計画に「株式の上場」と書けばアホだと思われるに決まっている。既に高度な水準で自社の品質を管理したり検査している企業は、相手も同じ程度の品質管理をしていると想定すればこそ、そんな次元で安穏としているわけにはいかないから、次の目標を設定する。しかるに、そのような企業が「高い水準で品質を管理したい」などと言っていたところでは、それは真意ではなく、単なる競合や顧客への牽制にすぎないのである。

したがって、このようなフレーズやスローガンは、いわゆる政治的な議論での駆け引きと同じで、議論の枠組みを意図的に狭めたりズラしたり広げたりする「テーマセッター」と呼ばれる詭弁やレトリックの道具であり、まともに相手にするようなものではない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook