詳細プロフィール

概要

Takayuki Kawamoto in 2007 河本孝之(かわもと たかゆき、昭和43年9月20日(1968年9月20日)- )は、日本の会社員である。現在、某社で、情報セキュリティ事務局の責任者、および個人情報保護管理者(CPO)を担当している。

※ちなみに、以下の記載は僕が僕自身について書いているので、客観的かつ証拠がある内容とは限りません。うろ覚えで書いているかもしれないからです。それから、「CPOなのにどうして自分の情報を公表しているのか」と訝しく思う方に述べておくと、個人情報にせよ、プライバシーにせよ、公開する・しないの判断は本人の自由です。個人情報保護のマネジメントに従事しているからといって、スパイのように匿名で生活しなければいけないというわけではありません。(企業が個人の情報発信について契約で牽制できるのは、自社の業務にかかわる機密事項や取引先の情報等、企業活動に影響があると合理的に推定できる内容だけです。)

主な活動と業績

年譜

昭和43年(1968年)9月20日
東京都目黒区緑が丘で、父敏之、母君子の長男として生まれる。祖父である河本孝一の「孝」と父の「之」を一字ずつとって命名された。ちなみに母親はいちど中絶しており、兄になったかもしれない胎児は「譲(ゆずる)」と名付けられるはずだったという。また孝之も中絶の可能性があったようだが、やはり産むことにした母親曰く「人生を兄から『譲』られたのだろう」。
出生は目黒区東が丘の国立東京第二病院であった。出生時の身長は 57 cm、体重 3.8 kg の大きな赤ん坊で、面会に来た両親は遠くからでも様子が分かったらしい。
[参考:1968年(ウィキペディア)、「プラハの春」が始まる、東大闘争始まる、マーティン・ルーサー・キングが暗殺される、小笠原諸島が日本に復帰(ちなみに沖縄はまだアメリカの領土だった)、郵便番号制度が実施される、明治製菓が「カール」を発売、タカラが「人生ゲーム」を発売、東京と大阪に自動券売機が導入される、川端康成がノベール文学賞を受ける、和田アキ子が歌手デビューする(笑)、三億円事件発生、都営三田線の巣鴨から志村(現在の高島平)駅が開業。同年9月生まれの人物として、元巨人の緒方耕一、仮面ライダー BLACK 等の倉田てつを、元巨人の木田優夫、小説家の吉田修一、俳優の内野聖陽、レーサーのミカ・ハッキネン、元阪神の藪恵壹など。]
昭和50年(1975年)3月
大阪府八尾市立山本保育所を卒園。
昭和56年(1981年)3月
大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校を卒業。(ソースはないが保育所から附属天王寺小学校に入学した初めての生徒だったらしい。)
小学校では国語の奥野先生が板書を美しく書くことに感心し、なぜか書道やペン字ではなく板書を上手く書く練習をして、中学へ上がるまでには殆どの教師より上手くなった。そのため、中学以降は書記やホームルームの板書担当を任されることが多かった。
昭和59年(1984年)3月
大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校を卒業。
中学時代は殆ど考古学ばかり勉強していたが、たまにプラモデルを作ったりしていた。お気に入りは「ダグラム」のソルティックと、「ボトムズ」のスタンディングトータス。
昭和62年(1987年)3月
大阪教育大学教育学部付属高等学校天王寺校舎を卒業。
高校2年で自治会の副会長に選任される。立候補の公約は「附高祭の再考」で、筋道の通った理由がないかぎり「伝統だから」というだけで文化祭をやるのは時間の浪費であるという公約を掲げた(笑)。なお、所属していたクラブは、陸上(2年まで。専門は200mと三段跳び)、ESS(部長)、地理歴史研究部、数理研究部(部長)、放送部、文藝部。物理部にも入っていたような気もする。
実質、高校1年で考古学から歴史哲学やフランス思想に関心が移る。日中は読書をしてから、終礼の終わる時間帯に登校するという生活を続け、高校時代は全ての教科が出席日数不足であった。
昭和62年(1987年)7月
Takayuki was an editor for this Journal 東京都千代田区神田神保町の株式会社デジタルネットワークに委託社員として入社。『月刊CDay』編集部でクラシック音楽CDやコンサートの取材、記事編集を担当する。
昭和63年(1988年)5月
同社が資金難で解散。元社長に他の出版社を紹介されたが、大学へ入り直すことにして帰阪する。
平成元年(1989年)4月
Takayuki Kawamoto on pages in Application Pamphlet for the Osaka University of Economics and Law 大阪経済法科大学法学部法律学科に入学。入学試験優秀者として入学金を免除される。(画像は、入試要項のモデルとして掲載されたときの写真)
平成元年(1989年)6月
東川崎町遺跡(三菱倉庫敷地内)の発掘調査に補助として参加。
平成5年(1993年)3月
大阪経済法科大学法学部法律学科を卒業。学士(法学)。専攻は刑事法学(武田誠ゼミ)と法哲学・法社会学(独学)。
平成6年(1994年)4月
関西大学大学院文学研究科、博士課程前期課程(哲学及哲学史研究第I講座)に入学。合格は1993年の秋期試験。指導教官は竹尾治一郎。
平成8年(1996年)3月
修士論文の出来栄えに不満があり、学位論文を取下げて留年する。
平成9年(1997年)3月
関西大学大学院文学研究科、博士課程前期課程(哲学及哲学史研究第I講座)を修了。「確率的因果性の概念」で修士(文学)の学位を受ける。指導教官は竹尾治一郎(分析哲学, 主査), 渡辺幸博(フランス現代思想, 副査), 山本幾生(現代哲学, 副査)。
平成10年(1998年)4月
神戸大学大学院文化学研究科(博士課程、文化構造専攻科学基礎論専修)に入学。指導教官は森 匡史(科学哲学, 主査), 真方忠道(ギリシア哲学, 副査), 松田 毅(近・現代哲学, 副査)。
平成10年(1998年)4月~平成10年(1998)9月
神戸大学教務助手(学部講義:科学哲学)
平成11年(1999年)10月~平成12年(2000)3月
神戸大学教務助手(修士演習:科学哲学)
平成12年(2000年)4月~平成12年(2000)9月
神戸大学教務助手(修士演習:科学哲学)
平成13年(2001年)3月
家庭の事情により、神戸大学大学院文化学研究科(博士課程、文化構造専攻科学基礎論専修)を中退。
平成13年(2001年)~平成14年(2002年)
大阪府吹田市(当時)の IT ベンチャーに入社。チーフデザイナーとなる。
平成14年(2002年)~平成18年(2006年)
大阪府東大阪市(当時)のメディア制作会社に入社。サーバ管理、プログラマー、デザイナー、自社サイトのディレクターを兼任。
平成18年(2006年)5月
大阪市北区与力町のデザイン会社に入社。コーダおよびプログラマーとなるが、終電で帰宅することすら歓迎されない社風になじめず退職。
平成18年(2006年)7月
大阪市北区堂島の某社にシステム系ディレクターとして入社。平成18年(2006年)11月にシステム部長、平成19年(2007年)1月に取締役(システム部長兼任)、平成20年(2008年)1月に取締役とシステム部長を退いて情報セキュリティ事務局の責任者、平成20年(2008年)12月にシステム部長と情報セキュリティ事務局責任者を兼任、平成23年(2011年)2月から現在は情報セキュリティ事務局責任者(専任, CPO)である。

思想

The Philosophy Family Tree での位置

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...... 3 Christian Wolff
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........................ 12 Jiichiro Takeo
...................... 11 ???
........................ 12 Masafumi Mori
.......................... 13 Takayuki Kawamoto

参考: The Philosophy Family Tree(2014年現在は https://philosophyfamilytree.wikispaces.com に移転しているが、樹形図を使わなくなって分かりにくくなった。)

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