最終更新日: 2008年11月22日

昔々の会話

2005年06月25日 22:45

実家へ戻ったときに、蔵書とか、学生時代にしこたまコピーした論文とか書き殴った原稿とかを持ち帰ってきます。その中に、友人と話した会話の記録がありました。その当時、友人と久しぶりに会って話をするときは録音していたのです。後で聞き返しては「あーこんなこと言ってたなぁ」とか回想したり、あるいは次に話すときの参考にしたり、いささか変な友人関係にあった 19 歳でした。

今回たまたま見つけたのは、1988 年の秋頃に友人と話した記録です。1988 年と言えば、ちょうど東京から戻って大学受験までの数ヶ月を受験勉強・・・はしなかったので、東京で買い求めた本を読みふけったり駄文を書き殴ったりしていたときでした。そこへ、高校からの友人がやってきました・・・

会話その1

友人Y:君が、マルクス主義に関して外に離れてみるべきであると僕に言うことに対して、何か文を書いてみようと思ってる。題して、「方法的転向」。ただね、マルクス主義の外に離れてみるべきだと言ったでしょう。つまり、「君はマルクス主義の考え方を唯一絶対的なもの、前提としてしまっているけれども、その前提を疑ってみるべきではないだろうか」、ということなんだけれど・・・マルクス主義って何なんだろうね。僕は僕の考え方をしているのであって、それがマルクス主義に近いかなぁと思うけど、実のところマルクス主義の文献は殆ど読んでないんだ。だから、マルクス主義から離れてみるべきだと言われても、そうかなぁと。マルクス主義という聖典があって、それを盲目的に信じているのではなくて、実は読んでないのよ。確かに、客観的な真理があって、マルクスが達したと。そして私も達したから正しいんだという理屈なら分かるけど、読んでない以上は分からないんだ。河本はどうして、僕の考えのどういうところを捉えて、「それはマルクス主義だ」と言うわけ? 何がマルクス主義をマルクス主義たらしめているのか。一体、何がマルクス主義なんだい?

河本:理論的な判断じゃないね。雰囲気(笑。

友人Y:要するに用語、例えば「資本主義」とか「独占資本」とか。まぁ便利だから言葉をそう使ってしまうんだけどね、それはあくまで言葉であって、思想内容では分からない。それで考えたんだけれども、まず唯物論がある。そして物事を歴史的に考察する。物事の変化、移り変わりの裏には、或る根本的な法則が存在する。それがそうではないのかなと思うんだけど。

河本:それならデカルトとか近代哲学が入ってしまう。

友人Y:そうなんだよ。で、客観的な真理を認めるなと。離れてみろ、ポスト・モダンだと(笑、それは冗談だけどね。だから、マルクス主義を茶化すことはできるんだけれども、根本的に批判することはね、理性で実態と照らし合わせてちゃんとしろという、その批判自体が実はマルクス主義ではないかと思うしね。本当のマルクス主義はこうだという。

河本:だから読むことだね。読んでおかしいなと思うところは、何がおかしいのか、そして納得するならするとして判定する。結局、読まずに学生運動と一緒のことをやってたら惰性化して終わりなんだよ。柄谷行人も西部邁も言ってるように、誰も読んでないんだから。

友人Y:いや、それは計算ではないかぁ? いやぁ~、「僕はマルクス主義の本はホンの 10 冊しか読んでないよ」とか。すると、マルクス主義の外に出ると言っても、誰も読んでいないと……。

河本:いや、俺の言ってるマルクス主義って、そもそもマルクスの思想とは違うからね。

友人Y:あっ、そうか。その意味なんか。ならわかった。それはもう出てる(笑。

会話その2

友人Y:哲学と思想の違いについて、考えたことがあるんだ。「現代思想」と言うだろう、「現代哲学」とは言わんわけだねぇ。思うには、哲学というのは、世界の全てを説明し尽くさなければいけないと思うんだな。この手順を踏みさえすれば全て説明できる筈だという。思想の場合は、或る一つのアイディアとか思いつきというか、それで世界を突き抜けて、後は知らんという、無責任なものだと思うんだなぁ。

河本:僕の解釈ではね、思想というのは昔に言われたものと違って、哲学でも科学に影響を受けるよね。社会学でも経済学に影響を受けたりする。そういう言語的体系として、世界を説明する理論を追求すると。その言葉によって決めようという意志を持ってる限りでは一緒だと。そうした根本的なところを捉えて言っているのが思想だと。哲学はその中の一つで、科学とは違う、経済学とは違う、と言うんだけど、科学哲学があり経済哲学があるというので考えると、みんな哲学者ではないか。つまり、哲学というのは学問ではなくて、方法論ではないかと思うんだけど。例えば、社会学の学者が哲学に興味を示さないというのはおかしいのではないかと思う。

友人Y:たぶんね、僕は人間の自由意志と運命のあいだとか、科学の客観的法則に対する観測者の問題、この雑誌にもあったけど、法則を知って、でどうするという自由意志の問題を解決するのが哲学だと思うんだけどなぁ。

河本:倫理は?

友人Y:倫理……そういうふうに畳み掛けられると困るんだけどねぇ。

河本:倫理と哲学ってあるでしょう。社会学も哲学に、哲学も社会学に影響を受けるんだから、同じではないかと思う。

友人Y:そうかなぁ。やっぱり、ピラミッド構図で一番上に哲学があるということだと思うんだけど。

河本:俺はね、一番上にあるのは思想だと思う。二つの学問がそれぞれに考え方をとってきて、互いのシミュレーションという、相似関係なんじゃないかね。科学者が哲学をやったり。マイケル・ポランニーとかシュレーディンガーとかアインシュタインとか。

友人Y:あれ哲学か? それは人間である以上は哲学みたいなことを言ったって当たり前じゃないか。

河本:だからそれでいいのよ。それを哲学というところに限定せずに、どこからでもヒントを得る、というのが思想なんだと思う。思想というのは広いところを指すのではないか。だから上なわけ。

友人Y:そうかなぁ……。

会話その3

河本:今、京大の学術系クラブってどうなってるの? 例えば、穏健とか言って中核に殴られたりするの?

友人Y:見ている限りではね、学術的にというか客観的に行動を伴わずに、現代の日本の反動的傾向を分析していると。分析して、分析した結果をビラにして出すと。で、それに対してナニナニはいけないんだと、無くさなければいけないんだと主張はするんだけども、別にそれで行動というかデモをしたりとかはしないわけだね。政治経済研究会という、理論的探究と主張と、そういう団体があるんだけれども、それが唯一の例外かな。何故それが例外であり存続し得るかというと、それは暴力を持っているからだと。すなわちそういう、主張しておきながら行動しないと、「行動しない、ソレハ欺瞞ジャナイカー」と、中核派が言いに来ると。言いに来て、時々殴りに来ると。で、それで屈せずに、こちらもヘルメットを被ってがんばっている、だからこそ政経研は存続し得ると。

河本:政経研から攻めていくことはないわけでしょう?

友人Y:いや、それもいっぺんあったらしいけど(笑。

河本:それがあったら終わりやな。それが一切なかったと言うなら自衛のためだということになるけどね。なら、政経研の方が正しい(笑。

友人Y:自衛のために、攻撃が最大の防御になると。で、それ以外に暴力は使わないと。だから中核派なんかは、闘ウ勢力中核派ニ対シテハ暴力ヲ使ウケドモ警察権力ニ対シテ一切暴力ヲ使ワナイとか、ダカライケナイとか言うんだけどもね。そういう暴力装置を自分で持たない限りは学術的なものは存続し得ないというね。なんにも考えなくてね、河原町に行って遊んだりですね、ウーム。あんまりリアリティのある描写はできないんだけれども(笑、そういう遊んでる学生はね、そういうのはね、却って中核派を無視していて、無視していることによって存在を認めているというか、平和に暮らせるわけだね。特に、中核派につっかかって行かない限りは自分の世界を守れると。しかし、なにか今の社会は問題があるから、自分のできるところからやってみよう、そのために現状認識のための学問だとかいうと、要するに真面目なことをすると、ツカツカツカと来て、「ウン、君コノ問題ドウ思ウ?」とか言って、「ソウカ。ジャア一緒ニヤロウ。一緒ニ出来ナイ?……キサマ、反革命ダ!」とか(笑。これが、だいたい数ヶ月の対話を繰り返して最終的にレッテルが貼られるというね(笑。

河本:しかし……でも、そういう人たちっていうのは、あんまり根本的に物事を疑うことはないんだろうね。殆ど宗教じみてるという意味では右翼と一緒だろうし。マルクスは「宗教はアヘンである」と言ったけど、実はマルクス「主義」もアヘンだったという……。

友人Y:いちから合意を作るとかはしないだろうけど、興味をもった者を引き込んで話をもつときには、突っ込んだ話を実はしているのではないかと。

河本:だけど、最初から疑うとかいったことをするかね。

友人Y:或るていど、デカルトみたいにさ、そもそも私自身が、神が存在しているのだろうか、この机がある、私が手を触れているというのは幻想であって、本当にそうであるかは分からないのではないか……とかいうのはキリがないから当然だと見做して、その上から考えてるんだろうね。その基準のハードルが違うのではないかと思う。河本なんかだったら当然疑うことを、当然の前提と見做している。あるいは河本が当然と見做していることを、彼らはヤハリ疑ッテミル必要ガアルノデハナイカ、という限りでは、お互い様ではないかと。実際、中に入ってみないと聞けないから集会とかに参加してみたり、向こうから来た場合には胸を開いたりしてきたんだが……もっと中に入ってみたい(笑。

河本:いや、だからそれによって親密になるなら、中に入ってしまって同じになってしまうだろ。

友人Y:そう。中に入って、分かって……「あ、そうか。じゃ、バイバイ」……というわけにはいかんなぁ(笑。そこが問題なんだよ。共産党の民青に関しては、突っ込んだ話が出来ているんだけどもね。

河本:結局、自分たちは正しいという。検証していない。

友人Y:いや、してるんじゃない?

河本:でまぁ、彼らはなんにも変えないね。で、それで死んでいくね。それがよく分からない。革命なんかは十年やそこらでは出来ないかもしれないけど、それにしても変わらなさすぎるでしょう。

友人Y:「寧ロ、ワレワレガ居ナケレバ、モットモット悪イ方向ニイッテイタンダ」という。

河本:大衆と一緒にやるというものではないでしょう。

友人Y:「大衆モ、キット分カッテクレル筈ダ」と。

河本:でも、以前の革命は全員で立ち上がるでしょう。

友人Y:「心ガ麻痺サセラレテイルノダカラ、解放シテヤラナイトイケナイノダ」と。

河本:で、どうやる?

友人Y:独占資本を倒して、正しい教育を受けさせてやると。

河本:それは前例がないでしょうが。

友人Y:だから、暴力革命にならざるを得ない。毒に慣らされてしまって正当な怒りをもつ権利を、判断力をも失ってしまっている彼らは、正しい判断を下せられないと。で、暴力革命になるわけね。

河本:でも、役人を全員殺すの?

友人Y:或るていど強制するということで、正しい教育を受けさせるんだろうね。それで、「やっと分かりました。ここまでやって下さって……」とかなるんだろうね。

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