実家から掘り起こすもの
2010-07-10 03:47 /
実家の押入れには、論文のコピーやら中学時代に撮影した遺跡のビデオやら色々とあるのだが、「ウォーゲーム」と呼ばれるボードゲームもかなりある。たしか、一度くらいはここで記事を書いたことがあると思うのだが、あらためて書き残しておく。
これまで何度か、中学時代は殆ど考古学の勉強や遺跡の見学に時間を費やしてきたようなことを書いてきたが、それ以外にも8ビット時代のコンピュータでアセンブリや Hu-G BASIC を使って、遺跡の分類データベースみたいなものを作ってみたり、古墳の実測図をトレースして 3D のグラフィックにしていたし、当時は英語の授業でミスター髙橋(NHK にも出ていた髙橋先生は、こう呼ばれる事を好んだ。まるでポリドールの森幹夫さんみたいだな)がビートルズの曲を頻繁にかけていたので、洋楽ばかり聴くようになってエアチェックも土曜日になると熱心にやっていた。ちなみにだが、このミスター髙橋は居合いの段をもってるくせに、修学旅行で夜更かししてた全員を廊下に並べて酔っ払いながら本気で蹴るんだよ(笑)。国立の学校というのは「実験校」なので、この手の実験も色々とできたわけだ。高校では、「俺はデモに行く」とか行って授業回数の 1/4 くらいを自習にしてた先生もいたしなぁ(実は、この先生は僕らが学校でウォーゲームをするのに反対していた。サヨクだから)。学習指導要綱の適用範囲から除外された学校だったんだろうか。あと、中学や高校でやっていたことと言えば、ロードレーサーにも乗っていて、シマノのデュラエースで組んだバイクを通学に乗りまわしていた。
さて、そんなこんなで中学3年になって、幸か不幸か考古学から歴史学や歴史哲学にシフトしてきた頃、放課後に隣の教室で何人かが机を六つほど並べて地図のようなものを広げているところに出くわした。教室に入ると、外交官を志望していた同級生が、SPI という会社の『NATO Division Commander』というゲームを広げていたのだ。当時も 2 万円近くしたし、そもそも見せてもらったルールブックが細かい。正直言って、僕は軍人将棋のルールすらすぐに忘れるくらいなので、こんなことをやっている連中が居ることに驚いた。面白い。そして、周りに居た連中も、それぞれお気に入りのゲームを持ち込んでいる。或る者は、いかにも軍事マニアで日本軍が好きだという言葉どおりに、ホビージャパンという国内の会社が出していた『IJN 大日本帝国海軍』というゲームを引っさげていた。かなり使い込んでいたらしく箱の角がボロボロになっていたが、ユニット(駒のこと)の取り扱いは非常に丁寧で好印象をもった。もう一人は後の親友で結婚式の祝辞も述べた仲になったのだが、彼はとにかく戦車とドイツ軍が好きで、アヴァロンヒルという会社の『パンツァーブリッツ』を持っていた。彼もまた女性のような指先でマップを扱っていたのが印象に残った。
その日は実際にプレイしているのを見るだけで終わったのだが、戦術級と呼ばれる小区域の戦闘を再現したゲームでは、当時の敵対国で使われていた武器の性能差や天候に左右される移動力をルールで緻密に再現しようとしたり、戦略級と呼ばれるゲームでは中立国との政治的な駆け引きや、自分たちが引き起こした戦争そのものによる輸出入への影響も織り込まれてくる。僕らは一部の連中とは違って好戦的な意図はなく、また勝った負けたという単純な勝負をしているわけでもなく、マップとユニット類を使って歴史的な戦局の推移を想像することに興味を覚えた。それはそれで、恐らく「楽しい」と表現するのは不謹慎であろうし、プレイすること自体に不謹慎と思わせる要素があったせいか、一部の教官からは「そんなことはやめなさい」と言われたこともある。いまであれば「ウォーゲーム脳」などと言われたのだろうか。それはそれで歴史に対する侮辱にも思える。殺された人間は殺されたのだし、殺した人間は殺したのだ。それは敵だろうが味方だろうが、どちらもいる。それは僕らがヨーロッパ東部戦線で、わざとドイツ軍やソ連軍を選び代えてみて、それぞれ相手が得意とする側の軍隊や軍備あるいは指揮系統について理解をしていけば、どちらの側にも戦争をする理由があって、どちらの側にも守りたいものはあったと理解できる。したがって、始まってしまうまでにできることを行うのが最善ではあろうけれども、始まってしまえば速やかに事を運んだり、じっくり待ち受けたりして、最適な手を選ぶことが望ましいと分かる。
もちろん当時も、「そんなことを学びたいなら将棋やババ抜きでいいはずだ。何も戦争で学ばなくてもよいだろう」と言ってくる真面目な人々もいた。純粋な駆け引きや推論の訓練がしたいなら、それもそれで正しいだろう。
しかし、僕らは現実に起きた歴史にも関心があり、現実の歴史を再現したルールで事の推移を運びたいのである。それに、中高生時代にウォーゲームをプレイしていた人間が傭兵機関や軍隊にすすんで入隊するかと言えば、海外でも殆どそんな事例はないと思う。あるとしても、それはゲーム脳に対する批判として言われていることと同じで、好戦的というか括弧つきの「愛国心」が強い人間が、たまたま発育の途中でウォーゲームを始めただけのことでしかないだろう。また、日本の周りの国では徴兵制があり、誰も好きで軍隊に入っているわけでもないのだと分かれば、軍事の素養を身に付けているだけで好戦的だと言うのは、偏見である以前に相手の感情を損ねる発言ではないかと思うのだ。
そして軍略にしても、一つには歴史上の重大な決断がどのような状況で行われたかを知るために、彼らの頭の中の見取り図のようなものを再現したいと思ってウォーゲームに関心をもっていた。僕らがやっていたのは、ゲームと言われればゲームなのだが、中には本当の軍事作戦の演習用に使われているゲームもある。それから、英米哲学か経済学の素養がある方は理解しているはずだが、「ゲーム」という言葉に僕らは「あそびごと」という意味合いは含ませていない。単に、一定のルールや初期・限界条件を決めた上で行われる「一連の操作」ということだ。したがって、僕らは「戦争をもてあそんでいる」という偏見に、二つの点で抗議していたのである。
ちなみに、これらに加えて、当時から出ていた『プレジデント』などの通俗雑誌に見受けられる、「徳川家康を見習って社長になろう」的な(笑)、それこそ歴史をもてあそぶ連中のたわごとにも、異議申し立てというよりは冷笑を浴びせていた。経営の話に「戦略」「戦術」という軍事用語を持ち込むことに反対している人がいる一方で、当時の僕らは、『プレジデント』の三文文士たちが書きなぐっている、カスのような分析や解説こそ、戦略や戦術「的」思考のなんたるかを分かっていないのではないかと思っていたし、いまでもそう思う。しかるにいまも、「営業戦略」などというくだらない言葉遣い(営業活動など、そもそも企業にとって「戦略」のレベルにくるわけがない)をするくらいなら、軍事用語の濫用はやめて、まともな経営学を学ぶべきだと言いたい。
[2010-07-19: 追記]
なんでウォーゲームをするのかという話については、デザイナーの山崎さんのブログでもウォーゲームの意義について色々と語られているので、ぜひ一読されたい。
さて、では自分も何か練習としてやってみたいと思うのが人情というものなのだが、いったい何をすればよいのか。そのとき薦めてもらったのは、確か『TACTICS』の付録についてきた簡易ゲームだった。それはやった。たぶん、50回くらい一人でやった記憶がある。僕が小さなマップを使う作戦級と呼ばれる規模のゲームを好むようになったのは、果たしてそれがきっかけだったのかもしれない。というわけで、雑誌の付録からは卒業して、友人たちが学校に持ち込んでくるゲームを色々と見せてもらって、そろそろパッケージを買おうと思うようになった。
当時の校内には、先輩から下級生まで含めて、探してみると10人くらいの「プレイヤー」がいた。80年前後の頃なので、いまから思えば全盛期と言ってもよく、梅田のキディランドをはじめ郊外には専門店すらあった状況である。それにしても、一つの学校に10人とは、たくさんいた方ではなかったかと思う。ただ、先に紹介した同級の3人を除けば、それぞれ一つか二つくらいしか持っていなかったので、幸運な事にやはりこの3人がコアメンバーだったのだ(笑)。
特に興味のある戦争があったのかと言われれば、実はなかったと思う。しかし、他人がプレイしているのを見ながら、彼らの解説を聞いているうちに、東部戦線には興味が出てきた。しかも、初期の頃のドイツが優勢な時局ではなく、寧ろソ連の人海戦術に圧倒されるようになった頃だ。あの、ドイツの精鋭部隊がソ連の人の山に押し流されるような戦局は、何か教訓を与えているようでもあり、他方で何か人間の儚さを伝えているようでもあったからだ。しかし、放課後にはじめて彼らとゲームを買いに行ったときは、東部戦線を扱ったゲームは店になかった。いや、あったのだが、確か SPI の輸入物で数万円していたような記憶があって、手が出なかったのだ。結局、初心者でも扱えて、独ソ戦があり、例の3人が全員所持しているから誰でも教えたり対戦できるという、ごく自然というか当然とも言える理由により、アヴァロンヒルの『スコードリーダー』を一人で選んで買った。なぜかツクダホビーの『TIGER I』も買って、『TIGER I』を買ったと言うと笑われたのだが。
さて『スコードリーダー』は戦術級のゲームであり、僕が好きな作戦級よりも小規模の部隊を動かす「細かすぎる」ゲームなのだが、これをプレイしていたことで、作戦級のゲームがプレイシステムという点でとっつき易く見えたのはよかった。なんだかんだして、スコードリーダー・シリーズのゲーム(基本的なルールが共通になっているゲームが幾つかある)は、『C.I.』と『C.D.』という略称で呼ばれるゲームも購入したのだが、拡張ルールにだんだんついていけなくなり(笑)、とうとう『G.I.』は買わずにいる。
ウォーゲームを熱心にプレイしていたのは、実際には高校2年くらいまでの3年間だった。それ以降は、自治会の副会長をしたり、ポール・ヴェーヌの歴史哲学からフランス思想に進んでいったり、半分本気で文IIIを狙ってみたりという経緯があって、高校を出てしまったらプレイできる仲間がみんなバラバラになったせいもあり、ウォーゲームは実家のタンスに積み上げられることになった。3年くらいのあいだに、『SUEZ ’73』、『Air War』(ルールが緻密すぎて他に誰もプレイできなかった)、『スターリングラード』(エポック社の、無限スタックできるやつ)、『クレタ島降下作戦』、『Bitter End – ブタペスト救出作戦』(後半に友人とプレイしたのは殆どこれだった)、『激突マジノ線』、『Red Army – 白ロシア大作戦』(だったっ広い)、『ヨーロッパシリーズ、ナルビク強襲』、『ヨーロッパシリーズ、英国本土上陸作戦』、『ヨーロッパシリーズ、フランス崩壊』(これ以降のシリーズはもっていない。この三つも殆どプレイしていないが)、『ドイツ南方軍集団』、『Battles for the Ardennes』、『猛将パットン』(HJ版)、『オペレーション・グレネード』(HJ版)、このほかに幾つかあった気もする。量は高校生としては多いけれども、コレクター呼ばわりされるほど死蔵した覚えはないと思う。
プレイしていたときの記憶を掘り起こすと、一人でプレイしていちばん良かったと思うのは『スコードリーダー』か、「あのスターリングラード」だろうと思う。『スコードリーダー』はプレイシステムの基礎を小さなシナリオで少しずつ消化して行くステップがよくできていたからだ。どんどん進むと、殆ど武器マニアか傭兵マニアしか興味がないのではないかと思うような細かいルールが表現されていて、とうとうシリーズ最後の『G.I.』というゲームは、先ほども書いたように出版(「発売」とは言わないのがマニアである)されても敬遠したままであった。『スターリングラード』は、ともかく豪快なルールが楽しかった。ちょうど将棋の升目にあたる「ヘクス(hex)」と呼ばれる区画が実寸で何十キロ相当にもなり、そこへゲームで使う自軍ユニット(駒)を何十個も全てスタックできる(つまり全ての部隊駒を一つの升目に積み重ねられる)という、銀河英雄伝説ゲームも真っ青の豪快なルールが敷かれていたのであった。ただ、そういう大味さ加減がマニアには不評なようで、これをプレイしていると生暖かい視線(しかしヲタクが放つような子供じみた選民意識の冷笑でもない)を送られるのであった。
他人とプレイしてやりがいがあったのは、『Bitter End』だった。これは学校や自宅や友人宅で、合計すると20回ほどやったと思う。これまた、あまりマニアには人気のないゲームではあるけれども、本来のバランスがどうだったのか分からないが、僕らのレベルではドイツとソビエトの力が拮抗したゲームで、ソ連はただの物量攻めでは勝てないし、ドイツも士気の高さや武装だけに頼っていては押し切られる。これはドイツとソ連を交互にプレイしてから相手の作戦をレビューするという、かなりまっとうなプレイヤーとして付き合ったゲームだった(笑)。
それにしても、実家のタンスに置いたままのゲームは外箱もそのままなので、湿気とかカビでどうにかなっているかもしれない。もちろん、プレミアなど意に介していないので、絵柄は汚れるとデザイナーに気の毒だが、業者でもないのに過剰な包装をしてプレイせずに寝かせるというのは、こんどはゲームのデザイナーに失礼であろう。ということで、どれか一つを選んでじっくりプレイしてみたいと思っている。それ以外は、墓場に置いても朽ちるだけなので、『Air War』とかは好きな人にあげようかと思っている(まだ僕は生きているので、メールは出さなくて結構)。
ていうか、今の給料じゃ自分の墓も買えないな。
