落ち着け – プライバシーが既に死んだなんてデタラメだ
2010-01-15 01:04 /
事実としてそうなったという話は分かるのだが、マイクル・アーリントンがそれを煽る動機が分からない。どういう思惑で公開しているのか、真意がつかみかねるエントリーだ。
本当のことを言えば、プライバシーははるか昔に完全に死んでいる。以前、Howard Lindzonが適切に要約したとおり、「Equifax、Transunion、Capital One〔いずれもクレジットカード情報処理会社〕、 American Expressとその同類にわれわれのプライバシーはレイプされてしまった」のだ。われわれのやることなすこと、何を買ったか、どこへ行ったかはすべてモニタされており、どこかのデータベースに収められている。われわれの買い物はクレジットカードを通じて、居場所は携帯やカーナビを通じて知られている。なにもかも知られているのだ。
ややサヨクっぽい切り出しだが、彼マイクル・アーリントンも、そもそも大量消費の美徳を全国民に煽りつつ、たかだか50年ほど続いたアメリカ経済の「オレ強えェー」状態の恩恵を受けた一人である。かたやブリトニー・スピアーズとかいうヤク中のションベン垂れに毎月 5,000 万円の印税を渡し、他方でホームレスを大量に生み出し、払えもしない住宅ローンを貧乏人に組ませた挙げ句、世界中に恐慌を巻き起こした実験国家の住人である。周りで見ている国だけでなく、そこに住んでいる自分たち自身が既に分かっていることなのではないのか。「プライバシーははるか昔に完全に死んでいる」・・・しかし、それはアンタらの国とロシアだけではないのか。中央政府がやっているなら、まだ「どこをぶっ潰したらいいか」が明解でよいけれど、かの国(とそれに続く国々)は民衆と私企業が先を争ってプライバシーを投げ売り状態にしている。そちらの方がタチが悪い様な気もするのだが。
とは言え、アメリカは冷静な時なら多元主義を保っているので、みんな同じ方向を向くわけでもない。例えば、「GMail を無料で使い続けたければプライバシーを放棄しろ」・・・Google はそんなことを言わない。事実上(バーチャル)そうだとしても、われわれにそんな条件をあからさまに迫ったりはしないのである。それゆえ、Google はメールをスキャンするかもしれないが、その利用については厳正なルールを敷き、エンドユーザの通信については、日本の IT ベンチャーなど想像もできないくらいの量の SSL 通信という負荷を担っている。ついこの前も、SSL 接続を GMail のデフォルトプロトコルにしている。確かに、そこで保護されているのは外部の第三者に対してだけであり、Google 自体はメールの内容を利用しているかもしれないが、内部的にエンドユーザの通信内容を閲覧しうるなんてリスクは子供でも分かるので、当然とも言うべきあれこれの対策を取っているだろう。でなければ、そもそも他の企業から見て、クラウドサービスなんて危なくて使えるわけがない。もし末端の技術者がどうこうするだけで、契約している企業のメールを見られるなら、Google 社は情報セキュリティマネジメント上の重大な過失を責められるだろう。したがって、彼らは喜んで「自分たちは具体的な事実を除く、これだけしか参照していない」と、はっきり境界線を示して、自分たちが潜在的なインサイダー犯罪者ではないことを宣言するはずだ。
次に、我々がフリーのサービスを、プライバシーという対価を支払って使っているという考えを取り上げよう。そもそも、何事かを単純に「トレードオフだ」と説明するだけの人々に用はない。常識的な知性があれば、「それらがトレードオフの terms(両項)でよいのか」と問うべきであり、そうしてはじめて「本当にトレードオフと言えるほど釣り合うのか」と問える。われわれは現に GMail を無料で使っているが、その対価はプライバシーなのかと問うことから始めるべきである。そして、仮にプライバシーだとしても、無料で使うには見合わないほどのリスクがあると判断すれば、まともな人間なら自然にそうしているとおり、GMail で業務連絡や顧客との通信は行わないし、彼女や家族との連絡もしないはずである。それゆえ、
しかしわれわれ一般人は何の問題もなくGmailを使っている。もちろん電話もだ。なぜかといえば、プライバシー漏洩のデメリットとサービスのメリットを比べるとメリットの方がはるかに大きいからだ。
などと言ってみても、殆ど根拠はない。GMail を使い続けていても、みんなそれぞれ自営手段をとっているのが当たり前だろうと思うからだ。多くの人は最初から、漏洩を危ぶむプライバシー情報など、GMail で送受信したりしない。しかしそれでも、GMail は使うに値するメリットがあると言えるだろう。だが、プライバシーの漏洩を心配する人々がそうしているとなると、「独自ドメインを取得・維持してレンタルサーバ代を払えない貧乏人は、独自ドメインのメールアドレスを自由に使えないから、プライバシーがなくなろうと GMail を使うしか選択の余地がない」という話になってしまう。つまり、Google が商売のベースにしているのは、貧乏人の情報でしかないという、どこかの代理店崩れのおにーさんが新書で書いていた話と似通ってくる。
仮に、プライバシー情報をサイト上に公開したり通信に乗せる場合だって(なんでこんなことを、シリコンバレーのデザイナーオフィスでふんぞりかえってブログ書いてる奴に説明しなきゃいけないのか、情けないのだが)、我々が Facebook や mixi で公開しているのは、公開用に自己コントロールされた情報でしかない。Facebook でプロフィールを公開するための URL を “vanity url” と呼ぶことでも、そこに公開されている情報の質が伺われよう。また、そのように自己コントロールできる状態を確保することが「積極的なプライバシー権」でもある。
そして、日本ではプライバシーと個人情報は厳密に区別されており、河本孝之が株式会社どこそこに勤めているという事実(複数の情報で個人を特定できること)は、プライバシーではないが個人情報だ。逆に、俺が大鵬薬品のラッパのマークや「正露丸」と書かれたトランクスを履くときがあるのは、個人情報でもなんでもないが、できれば隠したい(笑)、プライバシーである。Facebook で、誰にも知られたくない(という意味での)プライバシーを書くのは、ただのバカだ。それ以外の学歴や趣味を書くのは、単に唯々諾々と周りの運用状況に従っているか、あるいは学歴や職歴をひけらかしたいだけであり、意図して公開しているに決まっているのだ。果たして、Blippy はプライバシーの死亡宣告なのか。いや、そんなわけがない。このサイトで GoDaddy が何を幾らで買っていると知らされていようと、彼らは自己コントロールして情報を公開しているに過ぎない。Blippy を利用するかどうかの選択がわれわれ自身に委ねられている限り、プライバシーなどぜんぜん死んではいない。そして、死んではいないからこそ、Blippy を使わない圧倒的多数の人々は、このサイトを「キワモノ」だと生暖かく見守るのだ。
