「つながれる」んですね。
2008年07月08日 00:14
屋上屋を重ねるようなものですが、au の CF に使われている歌の歌詞に「つながれる」というフレーズがあります。で、不自然は不自然(そう思わない人がいてもよい)に感じるのですが、「パブリシティ狙いでワザとやったのかどうか」が分からないって方が、気味悪い。
元の歌は「だいじな会話」というタイトルだそうで、au の「買い方セレクト」のページに紹介されています。当然、有料ですが。歌詞も、一部なら著作権法の正当な引用の範囲になると思いますが、なんぜ短いので許容範囲がどこまでなのか怪しいため、適当にみなさんで聴いて下さい。それから、このフレーズは au の買い方セレクトのキャッチコピーにも「おとくに ぐっと つながれる」と使われているので、これだけを取り上げてもよいでしょう。
まず、さしあたって違和感があるという方の意見を引いてみると、「大きな声では言えない…日本語教師の告白」には、
つまり、「AUという支配者に家族と共につながれてしまう」というのが、あのCMのメッセージなのです。
というコメントがあります。もちろん、「つながれる」というのは「繋ぐ」の受け身であるということですね。しかるに、「ぐっと つながれる」のは、僕らが家族も含めて何かに括り付けられ結わえられているといったイメージになります。まぁこれはよいです。僕も、この CF を初めて見たときに「え、『つなげられる』じゃないの?」と思いました。
しかし、それでもおかしい。なぜなら、何かと繋げられるんだよと言っているときに「ぐっと繋げられる」なんて言い方はおかしいからです。性能とか能力を表している表現に「ぐっと」も「ぱっと」もありません。程度を表す「ちょっと」や「かなり」であればともかく、何かを「グッとできる」なんて状況は理解できません。グッとできるって、どうできるんですか。「虫の触角をグッと撮影する」って、どういうことを指してますか。マクロ撮影のことでしょうか。「ぐっと」という表現は、何かを何かに結びつけたり繋げるときに使う方が自然に思えます。ですから、ここで言っている「つながれる」は「繋げられる」という能力や性能という意味で理解すると、今度は「ぐっと」という表現に合わなくなります。
他方、この表現は不自然に感じるけれども、誤りではないという意見もあります。
たとえまれだとしても、文法のルールに乗っ取って作られているのであれば、その形が誤りだとは言えないからである。
したがって、この歌詞は誤りではない。しかも、こうして話題になるのであれば、CMとしては成功で、優秀な広告コピーであると言えると思う。
確かに文法のルールに従ってはいますし、「CMとしては成功」と言われているように、その不自然さでこのようなエントリーをたくさん「釣る」のが目的であれば、それはそれなりに成功していると言えるのかもしれません。
ただ、どれくらい話題になっているかは疑問です。あまりにもパブリシティ狙いがハッキリしていると、ブログで書く人はいなくなるように思いますね。mixi の日記とかマイクロブログに一言書けば「俺も、いちおうこれは不自然だと思ってるよ」という意思表示はできるわけですから。こうなると、なかなかバズとしての効果は測るのが難しくなります。そのようなバズのステージは、ここ2年くらいは SNS とブログだったわけですが、もう少し色々なサービスに分かれる可能性はあるでしょう。
それに、そもそもこれが意図的な「手法」だったとしても、最低限の感覚として違和感を覚える人がいなくては効果がありません。しかし、恐ろしいことに、この「つながれる」を「結びつくことができる」という意味で、真面目に使っている事例が出てきています。
“音楽の趣味”でつながれる――ママ専用ミニブログ「ひとこめママ」(ITMedia)
かようなわけで、不自然だけどアリというのが広がっていく可能性もあります。
(もっと色々書いてたんですが、論点が広がりすぎるのでまた次の機会に。)
