「関係性(2)」

2009-12-16 22:22 / scribbles

いちど書いた話題なのだが、やたらこの言葉が出てくる本を読んでいるので、もういちど取り上げることにした。そして、簡単に言うと自分がなんでこの言葉を見るとくたびれるのかを再考することにしたのである(笑)。

関係性とは、ブランドの特殊性のひとつです。いったん構築された、顧客に認められたブランドをサブブランドやレンジブランドに展開することによって新しい商品と既存の商品とを関係づけることができます。顧客は、新しい商品を今まで認めていたブランドとの関係性を通じて理解することができます。ブランドのもつ有効な役割であり、これを関係性と呼びます。

via 関係性 とは | ブランド用語集 | ミツエーリンクス.

検索すると真っ先に出てくるというだけで、ミツエーリンクスという会社について特に何か言いたいわけではない。さて、以前もいちど取り上げたこの言葉であるが、昨今ますます多用されている。いま読み進めている『コミュニティを問いなおす』(広井良典/著)という本にも、「関係性」は冒頭から頻繁に現れる。なお、本書はたいへん読みやすく書かれていて良書の部類に入れて良いと思うが、以下ではそういう総評とは別の視点で扱う。

人間の社会は最初から個体ないし個人が「社会(集団全体)」に結びつくのではなく、その間に中間的な集団をもつ。したがって、個体の側から見れば、それはその中間的な集団「内部」の関係と、「外部」の社会との関係という、二つの基本的な関係性をもつ。

『コミュニティを問いなおす』p.24.

さて、この言葉に違和感を感じる人は、たいてい次のように当だろう徒うだろう土うだろう【・・・しつもん・・・質問・・・「質」を削除して・・・】問うだろう(昨今の特殊人間たちはあまり意識しないかもしれないが、こういうのが頻繁にあって、実はかなり思考の妨げになっているような気がするのだ。ATOK って、もうすぐ消えて無くなると思うけど、結局単文節変換ですらロクな精度にならなかったな)。瑣事はともかく、その問いとは、「『関係性』と言うけれど、なんで『関係』で済ませられないのか」というものだ。

もちろん、著者はコミュニティや「カンケーセー」について他人へ教える立場にある人々の一人なので(ときどき僕の文体を読み違える人がいるから敢えて書くが、これは皮肉である)、著者はあらかじめ「それは『関係性』と表現されなくてはならないものだ」と言うべき強い根拠を持っている(と期待して読み進める権利が読者にはある)だろう。そうでなければ、現物を読めば分かるように、これだけキータームのように多用できるわけがない。しかるに著者は、何の前置きもなく「カンケーセー」なるものを物象化して、ものごとの一つのカテゴリーとしてあらかじめ何事かに対応すべき存在者だと措定しうる理由をもっている筈なのだ・・・実はここまでが皮肉である(笑)。

「集団内部の関係」や「外部の社会との関係」と表現していても、それらはなぜか、いつのまにか「関係性」という言葉に変わる。前者から後者へ推移するための条件はなんだろうか。まず最初に気付くのは、集団内部で人と人とが取り結ぶ関わりは「関係」で、それを外から著者のように眺めるときに「関係性」と言い表されているように見えるということだ。要するに、「関係性」とは傍観者的な言い回しに思える。男女が口喧嘩しているときに「それじゃあ、あたし(俺)とあんた(お前)のこれまでの関係性はなんだったの(なんだったんだ)よ!」などと言おうものなら、相手に張り倒されるに違いない。

次に、なぜ遠回しな皮肉を言っていたかとも関係性があるが、要するに「関係性」とは明確に説明できない「関係」を語りたいときに使っているだけなのではないか。「~性」という言い回しは、実は存在論的なカテゴリー(これこれとあれあれにはしかじかの結びつきがある)ではなく、認識論的なカテゴリー(これこれとあれあれにはしかじかの結びつきが見て取れる)として使われ、それゆえ「実はそれらに結びつきはなかった」と反論されても言い訳できる余地を残しているように見えるのだ。

そして、或るときは関係項 relata に当たる個々の人だとか物のもっている特性を語っているようにも見えるが、別の或るときはやはり幾つかの個体が取り結ぶ関わり方を語っているように見えるため、用法としてかなりぶれている印象をもつ。このあたりは、前回の落書きでも指摘したように、「関係」とは関係項のもっている特性だけを考慮すれば足りるような対のクラスにすぎないのかどうかという視点を取り入れると、そもそも「関係性」だけでなく「関係」とか「結びつき」という概念について再考を迫られてしかるべきだろう。

もちろん、多くの人々は単にペダンティックな言い回しであるがゆえに使っているだけだろう。そして、僕は日本語で為す何事かについて殆ど利益も害悪も及ぼさない人々のフィールドワークなど望んでいないので、そうしたあまたの事例は一刀両断で「バカのたわごと」だと断言して構わないと思っている。もちろん、人によってはそれなりの説得力をもつ意味合いもあろう。しかしディテールの探究は、各人が自分の関心に従ってそうすべきと思う事柄についてしつこく調べるのが楽しく、また有益なのであって、(あくまで自分から見てのことだが)瑣事をしらみつぶしに調べ上げるようなことは、それでメシを食っている人間にやらせればよいのだ。彼ら知的エリートには、一般人がくだらないと思うことにも果敢にコミットして挑んでゆく責任がある筈だからである。頼むぞ、(言語)社会学者。

最後になるが、ミツエーリンクスさんの「定義」や、マーケターがブランド分析の文脈で使う用法について何もコメントしないのは、申し訳ないがここで取り上げるに値しない瑣事だからだ。

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KAWAMOTO Takayuki

Mr. KAWAMOTO Takayuki
also known as philsci
(birth day: Sep 20 1968)
live in Osaka city, Osaka, Japan.

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