物持ち
2009-11-28 18:44 /
「物持ち」というと、本来は物を大切に使うこと(人)だが、今回は「あれこれと物を持っている」という意味で誤って使われる「物持ち」の話だ。別に言葉の話をしたいわけではない。
中学へ入るまでは、というか今でもそうだが、外出するときに色々なものを抱えていた。ちょうど考古学の本を読み集め始めていた時期だったから、『日本の考古学』という叢書を5巻全てカバンに入れて持ち歩いていたし、他にも三角定規や日本地図の型や数十本の色ペンといった文房具も別のカバンにごっそり入れていた。しかるに、小学生が毎日3つくらいのカバンをランドセルとは別に肩からかけて、電車に乗っていたのである。周りから見れば、ちょうど、朝夕に新聞を地下鉄の売店に配り回っているおじさんみたいな様子であったろう。
いつでも手元にあるというのは、確かに便利だし安心だ。今なら、iPhone や Kindle に何百冊もの電子ブックを入れられるから、そんなものが30年前にあったら、恐らく飛びつくように買ったことだろう。しかし、色ペンや定規まで抱えて、移動書斎さながら学校へ通っていたのだから、書物を軽くできたくらいでは足りなかったかもしれない。教室では、当然ながら机の周りにカバンを幾つも置いて、やれ社会の時間はノートにフリーハンドで描いた地図へ持参した色ペンであれこれと色を塗り、算数の時間はやたら精密な図形を描く次第で、当然ながら授業を殆ど聞いていないという本末転倒なことをやっていた。
中学へ入るまでに気付いて、無駄にあれこれ持ち歩くことはやめたのだが、それでも「どうしてもこれは持ち歩きたい」というものをカバンに入れると、やはり普通の中学生や社会人が持ち歩くカバンに比べれば重たくなる。いまでも、通勤で使うカバンには、ほぼ日手帳、無地のフリーノート、Oxford のいちばん小さな辞書、当サイトのフロントページで紹介している新書、Python Essential Reference、折りたたみの傘などを入れている。ノートPCを持ち歩いている人よりは軽いと思うが、正直言ってこんなに持ち歩く意味はない。
習い性とはこうしたものか。
