確かに講談社現代新書を買う比率は落ちてきましたが・・・
2008年03月26日 03:34
PHP/Python 使いなのに Jcode.pm のお世話にばかりなっているので、小飼弾さんのブログを拝読しています。昨日は「誰が講談社現代新書を殺したか」というエントリーが上がっていて、カバーが変更されたときの雑感を思い起こしていました。
※すみません。WordPress は冒頭に blockquote があると、中の p タグを抜いてしまうくせがあるので、ここにダミーの一文を入れます。
講談社現代新書の装丁
2005-02-21 02.13 (JST: GMT+0900) @759
既にご存知の方も多いと思いますが、講談社現代新書の装丁が昨年から変わっています。はじめて新しい装丁の新書を見たのは、確か天王寺の旭屋書店(MiO店)だったと思います。ああいう大きな書店だと講談社現代新書を扱っている数も多いので、新しい装丁の新書をいちどにたくさん並べられていたのを見て、新しい新書でもできたのかと思ったくらいです。で、近寄って手に取ると、『ウィトゲンシュタインはこう考えた』とか、どこかで見たタイトルの本ばかり。
で、中島英樹氏この新しい装丁については、これまでのクリーム色に一冊ずつ凝った図版が使われていた装丁から比べるとシンプルなものとなり、そのシンプルさが、何となく岩波新書や中公新書などがもっている権威主義に追随しているような印象を抱かせる。他の方の感想としては、
これまでの講談社現代新書の装丁は、書物が内包する「字の重さ」を軽減してくれる、気軽に手に取ることができるようにしてくれる、そんな落ち着いたデザインと質感だったのです。それがなにさ、あんなテカテカトゲトゲした装丁になって!
新書は各社多く出版されているわりに、どこのもわりと地味目が多かった中、白地に真ん中に■をおき、色をのっけただけのシンプルなデザインは強く、目をひく。帯も基本的に同じ色。1冊は1色だが、各書がとりどりの色なので、並ぶと圧巻。[...] 一点一点オリジナルの考えられた図版がついていた、これまでのデザインを好んでいたひともいるだろうが、私はこのシンプルさは好きだ。ただ背がちと弱い気がするのだが。
というご意見があるくらいで、さほどウェブでは話題になっていないように思われますが、まぁ中身が変わるわけでなしといったところでしょうか。ちなみに、彼女の意見を聞くと「並べたら色とりどりかもしれないけど、一冊ずつ見るとやっぱり安っぽくなった」と言う。シンプルという評価の裏返しとして、このような評価もあるでしょう。確かに、表紙にかけていた費用はかなり節約できるはずです。二色刷だし、ウラにあった著者の略歴も文字だけでカバーの内側に押し込められているし、発行部数が数十万とか数百万にもなると、かなり節約できるでしょう。具体的な金額は分かりませんが。それに、これまでに発行した講談社現代新書もこの安上がりな装丁に置き換えてゆくとなれば、ますます節約できるに相違ない。
発行費用の節約が、はたして彼のデザインがもたらした結果なのか、それともプロのデザイナーである中島さんが講談社から「これからは発行の費用を抑えたいので、二色刷でいけるものを」とか注文をつけられて作った結果なのかは、よく分からないところなので、何とも言い難いし言っても仕方のない話ではあります。二色刷でも、シンプルであるがゆえに素晴らしい装丁をつくることはできるだろうから、中島さんとしては「安っぽく見られても、二色刷という条件だったから仕方ないね」とは言えないでしょう。それを言ったらデザイナーなんか必要ないってことになる。でも、やはりあの装丁は「シンプルで素晴らしい」のか、「安っぽくてダサい」のかと聞かれると、かなり返答に困るものではある(笑。ここで一つ言えることは、あれを「そもそもあれはデザインされているのだから、『よいシンプルさ』なのだろう」といった予断で語ってはいけないということでしょう。実際、中島さんのサイトで仕事の一覧を見ていても、僕が見た感想としては CD ジャケットや缶コーヒーのデザインはうまいと思うけれど、ロゴデザインは正直言って大したことないなと思うし。
しかしそうは言っても、中島さんの次のような談話を読むと、次のように語られています。
それで、もっともデザインのない、無意味な形としてどういうものがいいかな、と考えた時に正方形というカタチが浮かんできました。丸とか三角とか四角というのは、もともと自然界にある形です。デザインと呼んでいいのかどうかもわからない。ただ、丸や三角は色によって意味が出てきますよね。丸だと日の丸がいい例です。やっぱり四角が一番無意味だと思います。
[...]
新書に限らず、デザイナーは帯に対して消極的なものです。ぼくも、できれば帯は捨てて、本棚に並べてほしいとは思います。かといって、現実に書店では、帯は本のデザインと一体のものとして見えるわけです。だったら、帯も積極的にデザインしようと。
うーん。談話の中身は良いのですが、それをうまく実現できているかどうかはちょっと疑問に思う。確かに帯の色も含めてデザインしたというあたりは、いまこうして眺めていると「なるほどね」と面白く感じるのですが、それ以外の点についてはいささか首肯しかねるところもあります。例えば、彼はいま各社から出ている新書を評して明朝体が多く使われていると述べてから、現代新書のデザインではそれを避けたとか話しているのですが、帯に印刷されているキャッチフレーズは明朝体で印刷されているし、それに文章をウェブページで見ていることが多い僕らのような人にしてみると、逆にゴシック系の活字で書かれた背表紙の方が平凡でつまらなく思えてしまう(ウェブページはたいていサンセリフやゴシック系のフォントで表示される)。また、古い装丁の本に中島さんデザインの新しいカバーを巻いただけというパターンがまだ多くて、これはどう考えても違和感あるだろうという気がします。実際、はじめて旭屋で新しい装丁の講談社現代新書を手に取ったとき、ちょうど戦中の岩波文庫が紙不足により劣悪な紙で印刷されていたらしいというのを思い出して、講談社も「印刷会社とトラブったか、あるいは装丁のデザイナーと権利関係で何かトラブルを起こしたのか?」と思ってしまったほどです。つまり、シンプルでよい装丁に「なった」というよりは、単に何かの事情で急場しのぎの廉価で作れる表紙を代用しているようにしか受け取れなかったのでした。
シンプルであることの強みと、貧弱さとをどうやってうまく切り離すか。これはウェブデザインにも言える大きな課題であろうとは思います。いま、うちの会社でやっているデザインにしても、大きな画像をふんだんに取り入れて ISP の「ブロードバンド向けサイト」みたいなものにしつつあるわけですが、そんなに画像を使わなくても目的を効果的に果たせるよいデザインはある筈だ、という僕や彼女のもっているような職人気質みたいなものは、うちの会社では無用のものとなりつつある。じゃぁ、デジハリで 3 ヶ月くらい「ほおむぺぇぢのでざいん」とやらを、リスペクトしてるクールなアーチストたちとコラボレートしてゲットしてきた連中にさせておけば? ってな感じですが、なかなかよい人材が見当たらない。
以上の文章は、冒頭にもあるとおり3年ほど前に書いたものです。この当時は(もちろんいまでもそうですが)デザイナーとして働いていたので、やや装丁の見た目の良し悪しだけを語っていましたが、小飼さんのエントリーを読むと紙の質としてもかなり劣化したようですね。
当時は装丁については違和感を持っていたものの、ちらっとコメントをつけた『ウィトゲンシュタインはこう考えた』は良書だったし、内容まで影響は及ばないだろうと思っていました。しかし振り返ってみると、3年のあいだに購入した新書で講談社現代新書の比率は、確かに落ちているのです。この3年で購入した講談社現代新書は、『グレートジンバブエ』、『はじめてのラテン語』、『近江から日本史を読み直す』、『系統樹思考の世界』、『生物と無生物のあいだ』、『枢密院議長の日記』だけでした。入れ替わるように比率を上げているのが、その間に創刊された新しい新書で、特に光文社新書を購入する割合が高くなっています。試しに列挙すると(購入の順番は不明)、『行動経済学』、『日本とドイツ 二つの全体主義』、『日本とフランス 二つの民主主義』、『チョムスキー入門』、『「あたりまえ」を疑う社会学』、『ざっくり分かるファイナンス』、『ホワイトカラーは給料ドロボーか?』、『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』、『ウチのシステムはなぜ使えない』となっています。かようにして新興の新書に追われているわけですが、ちなみに僕が購入する割合で最も高いのは、皮肉なことに同じ講談社のブルーバックスなのです。
こうして見ると、確かに小飼さんやらどこぞの出版社の社長やらが「新書で 1,500 円は高い」と感想を漏らしておられるのも分かります。そもそも講談社は、岩波文庫と講談社学術文庫を対比しても言えることですが、総じて値段設定が高いという印象を中学生の頃(25年ほど前)から持っています。なので、読書を嗜む人々には今更言われなくても分かっていることでありましょう。それでも買うのは、それぞれオリジナルの内容をもっているからであって、講談社学術文庫にも岩波文庫に劣らず名著と言える著作は数多くあるのです。今回の話題になっている新書を見ても、僕が哲学を志した当時の愛読書は講談社現代新書の『正しく考えるために』(岩崎武雄/著)だったし、よい本はたくさんあります。最近のものを見ても『東京裁判』は読み応えがあり、これを 700~800 円で出すことを仮定すると、紙数からしても難しいと思います。仮に著者が原稿用紙の枚数とは無関係にかなり安い原稿料で執筆を引き受けたとしても、500ページ前後の新書を 1,000 円以下で出すのは殆ど慈善事業に近いと言わざるを得ません。
結局、まっとうな意見になってしまいますが、内容に不満があれば値段に文句を言う人もいるでしょうし、逆に「お買い得だった」と考える人もいるだろうとしか言えないのではないかと思います。で、小飼さんの美意識というか感想もデザイナーとしては分かるのですが、本を読む一人の人間として考えると、正直なところブックカバーが焼けるくらいで何をうろたえているんだろうかと思わないでもありません。本のブックカバーは、とりわけ新書のような出版物について言うと、これは全くの商業デザインであって消費物のデザインだと言えます。しかるに、奈良の正倉院に納めるようなものではなく、出版された同時代に読んでいる人たちの中に何かを残すことが主目的だと考えます。もちろんそれまでの艶やかな装丁は、たいへんセクシーで購買意欲をそそられるデザインでしたが、やはり書物の第一の価値は内容なのです。いまのところ講談社現代新書を買う比率が落ちてきたのは、僕の経験では、興味を惹く内容の著作が少ないと感じるからであって、背表紙がくすんでいるとか地味だといった理由からではないと言えます。
マーケティングとしてどのように分析されているのか寡聞にして分かりませんが、他の出版社からも新書がたくさん出てきたことが影響しているように思います。 さきほど述べた光文社だけでなく、ソフトバンク・パブリッシングや、角川書店や、アスキー出版や、あるいは翔泳社のようなところも出しています。これだけ揃えば、相対的に比率が下がるのは自然とも思えます。それに、そもそも昨今の20~40代は岩波新書や講談社ブルーバックスを読む動機やリテラシーがなくなっているのではないか。情報や知識はネットで追いかけるのにあっぷあっぷしていて、ケータイ小説かライトノベルスで息抜きするくらいの動機でしか書物を手にしていないという印象をもちます。梅田のジュンク堂でも、新書のコーナーにいる高齢者の割合が高くなっているように見えるのです。
