嗚呼
2008年02月28日 23:05
『新版日用語新字典』を手にしてお送りする雑文。
「嗚呼、なんて愛らしいの」
と、藍色に染めた相合い傘の中から女が呟いた。しかし同伴していた男は感心する風でもなく、ひたすらカップ酒を口に運んでいた。いつ頃から酒など愛飲するようになったのかは覚えていないが、どのみち誰の習慣も「今日からやっています」などと合い印できる記録などないだろう。
帰宅した二人は、それぞれ勝手にくつろいでいる。男は同じカップ酒を手にして、昔の時代劇を眺めている。主人公らしき目鼻のはっきりした侍が、追っ手の侍と相打ちしたところで、タバコに火を点ける。愛煙家でもあるこの男は、世の中のありとあらゆる嗜好を尽くすかのように煙を吐いている。そこに電話が鳴り、およそ相生いとは思えないほど生真面目な弟から、次の日曜日に実家で法事があるので来て欲しいと連絡があった。
「兄貴は人前で酔うとすぐ歌い出すから、おとなしくしていてくれよ」
「いいじゃねぇか、じいさんを偲ぶ席なんだからよ、哀歌の一つも口にしたくなるだろう」
中学の頃、亡くなった祖父の家に合い鍵で入り、掛け軸を持ち出して売り払った人間の言うセリフとは思えない。
「相変わらず調子のいいことを言ってるな。哀感のかけらもないくせに」
男は哀歓もなく育ったせいか、口では色々と言うし、困ったときには哀願もするが、決して本心では感情を表さない。子供の頃に飼っていた犬も、彼にとっては動くおもちゃといった意味しかなく、毎日のように犬を連れて散歩していたが、およそ愛玩しているとは言い難かった。
「じゃあ、都合が悪かったら、また連絡してくれよ」
弟との会話が終わると、合気道の稽古をしてきたかのように何の感想もなく、再びテレビを眺める。主人公を倒した剣豪が、たまたま相客となった威勢のよい商売人と、出身地の話で口喧嘩になっている。愛郷の士でもある剣豪は、怒りに任せて口をとがらせているが、愛敬のある商売人にからかわれているようだ。男は何の感想もなく、やはりタバコをくゆらせている。ついに剣豪は匕首を手にして商売人に襲いかかろうとしている。
「ねぇ、そろそろ夕飯にするわよ」
帰宅してから殆ど男と会話もなく、合い口がよいとも思えない女がつぶやく。女に返事して声をあげたのは、男ではなく愛犬だった。
しんどいな。こういう文章(笑。
