時間をあやつるシステム?
2008-09-06 22:18 /
或るイベントについての感想です。
「時間の使いやすさ」を基準として、
ユーザの時間を強要するようなデザインは、製品個別には使いやすくても、ユーザの生活の一部として考えると使いにくい、あるいは使えないものになっ てしまうのです。この解決には、ユーザの生活を中心に発想し、たとえば、活動の「すきま」や活動最中の「ながら」の時間を考慮しシステムのデザインをして いく必要がある
というコンセプトを立てた、『時間展』が自由が丘で 9/11 から開かれるそうです。ユーザが自発的に使おうとしている時間にシステムの方が合わせるとどうなるか、余った時間をどう使うかということが発想のポイントになるようです。まぁユーザの要望なんてものを単純に言ってしまえば、恐らく、なんでもかんでもすぐに終わらせろという一点に尽きてしまうような気がするけれど・・・しかしそれは無茶な相談なので、ユーザが他に何かをやっていたり、待機しているあいだに処理を済ませてしまうというアプローチになってゆくのかもしれません。しかし難しい課題であることは確かなようです。
プロジェクトとして提案されているものを独断と偏見で見てみると(というか、いつもそうなのですが)、「あたため時間を利用して、YouTube のコンテンツが見られる楽しい電子レンジ」、「歩行者用の信号が赤のときに踊り出します」、「毎日の自分の服装を試着した時と出かける時に記録し、それら を用いてコーディネート支援」、「料理が得意でない人のためのキッチンタイマー」、「一定期間においてはやった Web ページを一定期間まとめてチェックする」、「日付の大きさと配置を任意に変更させることで、よりパーソナライズに活用できるカレンダー」、「数十億年前の 宇宙の誕生からつい数日前に起きた出来事までにわたる膨大な年表のなかから、気になる部分をズーミングして見ることができるデジタル年表」、「あなたの人 生の素晴らしさを環境音で教えてくれます」・・・これらは一部ですが、残念ながら、いやしくも大学レベルの教育を受けている人間の発想として評価すると及 第点は難しい気がします。あと、「ゆるふわパソコンはあなたのパソコンの使っている様子をモニタリングし、時間がたつとともに画面がかすれる、マウスの反 応が鈍くなるなどの疲れをユーザに訴えかけます」というプロジェクトは、言いたいことは分からないでもないけれど微妙なものですね。「印象に残った時が視 覚的に分かる」タッチカレンダーと、「これまでの地図では表現されることのなかった時間という概念を、“足跡” という形で地図上に可視化」するアシアト地図というプロジェクトの着眼点はよいと思いました。難しいとは思うのですが、うまくいくとよい結果が期待できる と思います。
まずもって、多くのプロジェクトを「ロクでもない」と判断した理由は、時間をあやつるプロジェクトとして提案されていながら、個々のプロジェクトはメインとなっているコンセプトをうまく咀嚼できていないと思うからです。
自分の服装をいちいちコンピュータに入力しなきゃいけないんですか。そんな時間があったら洋服選びに時間を使う方がよいのではないか。あたため時間 を利用して一般人は普通に別の用事や家事をやっています。電子レンジの前にそのまま居座って動画が見ていられるのは、あなたが実際の家事を殆どやったこと がない暇な学生だからです。赤信号が動くとか印刷のあいだ赤絨毯で演出って、いかにもアーチスト気取りの人が言い出しそうな「ネタ」ですね。で、それって 時間と何か関係があるの? キッチンタイマーにしても、複数の作業を同時並行に管理するって、その管理用のデータは誰がいつ入力するんですか。そんな暇が ないから、みんな物事を色々と同時にやらなきゃいけないんじゃないの。一定時間のあいだ流行ったページをまとめてチェックするって(笑、ソーシャルブック マークってものを今どき知らない CS 学科の学生がいたとは思いませんでした。あと、宇宙の誕生から現在まで見せて、その間の出来事をユーザがいちいち入力するんだろうか。で、これって「時間 を」操ってるわけじゃなくて、歴史の流れをシミュレートしてるだけなんじゃないか。えーとあとは・・・人生の素晴らしさを環境音で教えるって、新興宗教の 勧誘ビデオじゃあるまいし(笑。
要するに、暇つぶし系のプロジェクトは、ことごとくだめです。大学生が大学の名前を公言して口にするのも恥ずべきだと思う。こういうものに将来性を 期待して微笑ましいと言ってくれるのは、例えば海外だと中学生まででしょう。それから、何かの時間を有効に使うために、その準備で散々に時間を使ってしま うようなものも破綻しています。アイディア勝負のネタみたいなものも幾つかありますが、これらは何も言うまい。
驚くべきことに、実はこのプロジェクトの参加者を見ると、学部生の卒研かと思ったら院生のほうが多かったりするので、非常に失望しています。発想の 仕方がとんでもなく薄っぺらいように感じる。会社でブレストしているときに、端っこのポストイットにでも書いてあるような叩き台レベルのものを、そのまま テーマにしているという感じですね。したがって、これは彼ら彼女ら個人の問題というよりも教育の問題なんだろうなぁと。個人を追い詰めていったり、あるいは社会や教育といった大文字の概念にまとめてしまうと、昔の左翼や右翼になってしまうのですが、どちらかと言えば本人の資質がどうという段階の話ではなくなってきているような気がします。
