最終更新日: 2008年08月29日

[05/07/2000]

2000年07月05日 00:00

修士および4年生(わたくしは「~回生」と呼ぶ理由を知らないだけです。異なる言語ゲームってか?)の中間発表です。本日は3名で、まずN君はポパーと William Warren Bartley を比較する発表でした。

ポパーはなんだかんだ文句を言いながらもバートリーを高く評価していたということですが、

THE ETHICAL NATURE OF KARL POPPER’S THEORY OF KNOWLEDGE. Including Popper’s unpublished comments on Bartley and critical rationalism. Peter Lang (Switzerland), 1999(?).

という本があって、これを書いた著者によると、

I think that anyone interested in Popper and Bartley will find something of interest there and perhaps some surprise. At least I was shocked when I knew the comments included there and have been obliged to change some appreciations that I had published previously.

だそうな。なかなか複雑なのかもしれませんね(誇大宣伝ではないと思いますが)。そして別のメールでは、

Bartley’s attempt was partly provocked by his desire of fighting Christianity, which was completely alien to Popper’s aims. I think all this is important in order to understand Popper, Bartley, their relationship, and the application of their respective ideas to present problems.

とこの人は述べています。もしそうなら、なるほど両者にかみ合わないところがあるのも無理はないということになります。

で、次はT君。月曜の宣言どおり、デイヴィッドソンの出来事とそれから時間の概念を取り上げています。やはりどうしても、出来事の同一性に時間や空間を使いはじめたら定義が難しくなりますね。デイヴィッドソンは出来事が特殊者だと考えた。しかしそれらに対して普遍者としての出来事や、あるいは再現性をもつと言いうる出来事は必要なしと。う~ん、しかしそれだと出来事を特徴づけるための性質(ここではほぼ普遍者に該当します)を特定しても、それが出来事を定義するための必要条件あるいは十分条件だと言える根拠がなくなってしまうのではないか?

One natural way to supply an appropriate entity would be to say that one and the same event, namely my dropping a saucer of mud, was instantiated both last night and tonight.[...] The recurrence of my dropping a saucer of mud would be handled this way: my dropping a saucer of mud occurred both before and after the event of my not dropping a saucer of mud occurred. (Davidson, “Events as Particulars”, in Essays on Actions and Events, p.183)

ということは、出来事が個別化するとか出来事が特殊者であるのは、存在者としての出来事が個別的だからではなくて、出来事が個々の機会に特殊者として個別化するための条件が個別的だからだということになります。確かにこれはこれで筋が通る。「New York Jets 対 San Fransisco 49ers の試合における Jets のオフェンスがチームを勝利に導いた」と言うとき、オフェンスは何度かの交代を経て繰り返し起きていたことでしょう。それらは時間の上で連続していません。デイヴィッドソンによれば、それら複数のオフェンスは普遍者としての出来事が繰り返して例化したというよりも、それら複数のオフェンスから成るクラスのメンバーが個々の場合に生起したと考えるのがよいというわけですね。しかし、そのすぐ後で、

[...] events have parts that are events, and the parts may be discontinuous temporally or spatially (think of a chess tournament, an argument, a war). Thus the sum of all my droppings of saucers of mud is a particular event, one of whose parts (which was a dropping of a saucer of mud by me) occurred last night; another such part occurred tonight. We need three events to carry this off, but they have the same ontological status. (”Events as Particulars”, p.183f.)

と言う。出来事を分割しても個々の成分はまた出来事である。なるほど。第2クォータにおける Jets のオフェンスもまた一つの出来事ですね。そして、「New York Jets 対 San Fransisco 49ers の試合における Jets のオフェンス」という幾つかのオフェンスから成るクラスも一つの出来事である・・・ふむ。記述の上ではそう扱ってよいでしょう。どちらも出来事のクラスというレインジを走っている変項を使って記述できる。しかし存在論的には随分と膨れ上がってしまいますね(”economy is not the motive”)。

で、時制をこの話に入れていこうというのは予定だけとのこと。う~ここで詰めた方がいいと思いますが。まあ、そういうわけで二人の発表は以上のような感じです。そのあとしばし休憩があり、廊下で助手のMさんとひたすらスタートレックの話をして、最後の発表はNさんでした。Richard Marvyn Hare を取り上げていましたから、昨年度のD3であったIさんがいらしたらまともなコメントを出してあげられたでしょう。発表の方は、批判的レベルと直観的レベルの区別を述べて、例の自転車と車の話を出してから最後に功利主義を中心に論文を整えてゆくといった感じです。

N君は僅かな例外を除いて、さすがになかなか正確な読み方をしていたように思いました。で、読んだ後にどう考えるかという点を詰めることが課題になるんでしょうね。T君もかなり正確な読み方を励行していたと思いますが、風呂敷を広げすぎた感があると。やはりN君のような「人対人」のアプローチを採る方が堅実でしょうね(わたくしはどちらかと言えば嫌なので真似しないで下さい、たぶんわたくしの文章などはよい失敗例にしかなっていません)。お、そう言えばM先生に見せていただいたN先生の論文によると、ウォトキンズさん(John William Nevil Watkins)は亡くなっていたんですね。Nさんの場合は、ヘアの論考を更に細かく検討しながら古典などと対比するということですか。う~ん、やはりIさんに少しうかがった方がいいだろうか。でも、Nさんはプレゼンとしては修士の二人とほぼ同格でした。要するに、修士の二人は原稿を見ないで説明できるくらい、論文を自分の中で組み立てていきましょう・・・ということで。言いたい放題、お粗末でございました。

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