[04/07/2000]
2000年07月04日 00:00
例によって落書きを待避(下のリンクを参照)。昨日は久々の演習にて登校・・・暑~! 六甲台から登っている最中は脱水症状が起きるかと思いました。しかも左にノート、右に図書館へ返却する数冊の本をもっていて更に過酷。まあ、よろしい。しかし、どこの大学でもそうでしょうが、電力会社と契約している一定の量を超えると追加料金がかかるので、昼間の数時間はクーラーの電源が切られています。すぐに研究室へ入るのはかないません。
さて昨日の演習は、水曜日に修士論文の中間発表をする後輩のテーマを取り上げながら、いまやっている経験的同値性の話を平行して行いました(どちらかの話題が息詰まると切り換える)。もう一人の後輩はポパーの関連で合理性概念などをやるらしいのですが、直に話を聞くのは水曜日になってからです。これは幾つか読んでおいて準備しましょう。で、演習(とは言い難い)を共にした後輩の方は、デイヴィッドソンの出来事と時制の話を結びつける。う~ん、時制ねえ。時制を組み込むやりかたはよく知らないのですが、時間を考慮する記述は、例えば次のようになるでしょう。
(ιx). x は時刻「 t 」に起きた∧ x は場所「 p 」で起きた∧ x はジャックに対する殴打である ∧…(「」は quasi-quotation の代わり)
こういったレモンの基準で修正したものを使うにしても、(t, p) どうしの正確な一致が条件になってしまうのはいかにも強すぎます。それにデイヴィッドソンの出来事を支持するなら、一定の広がりや間隔つまり一定の規模をもつ何らかの過程として出来事を理解しようとするのが自然ですね。しかしそうすると、出来事の規模っていうのは何でしょうか? それに、彼は上のようなやりかたではなく時制を使いたいというわけですが、う~む、時制は違うと思うぞ。これは柏端さんの cambridge event に関する論文が参考になるかもしれません。この後の展開は水曜日に。
