Scribble at 2017-09-21 09:56:50 Last modified: 2022-09-22 10:38:27

フロントページのコンテンツ一覧を確認していただければ分かるように、ここ最近は江戸時代末の国学者・国文学者だった鹿持雅澄について調べている。彼は(生前には出版できなかったが)『万葉集古義』という国文学史上の金字塔と呼ばれる著作の初稿を仕上げてからでも、半世紀くらいかかってずっと改訂していた。それを思うと、たとえばオンラインで『純粋理性批判』の規模の哲学的エッセイを書くどころか、そのコンメンタールや勉学の記録を書くアマチュアすら一人もいないのは当然なのだろう。WWW なんて(ちなみに、これを昨今の若者は「草を生やす(嘲笑)」の意味に誤解することがあるので、使う場合は注意を要する。World Wide Web と略さずに書いた方がいいかもしれない)、マニアだけではなく、HTML も分からない人までが自分のドメインを取得してオリジナルのサイトを運営するようになってから、せいぜい10年だと思う(ホームページ・ブームというのはマニアのものだったと思う。寧ろ、その後の 2007 年くらいから始まるブログ・ブーム以降)。それまでに何らかの蓄積があったという人が、しかもオンラインの文書として公開するというのは、恐らくそれまでの経緯で既に終わっていると思う。検索していると、例えば万葉集や古事記の詳細な解説だとか、パブリック・ドメインの文献をデジタル化したページといった労作は見つかるが、それらはだいたいブログ・ブームが始まるまでに苦労して HTML のページを作ってきたような人たちだ。それに比べて、いまブログ(しかもホスティングのブログや SNS)で何かを書いてる人の大半は、それまでに蓄積した成果を公表しているというよりも、ブログ主という自意識が所与のように先行していてものを書いている連中だ。だから、バカのくせに「執筆」なんて言葉を平気で使う。そして、もともと何の蓄積もない凡人が書けることなど限られているので、いわゆる YouTuber のような思い付きの刹那的なバカ騒ぎをする他はなくなるのである。それは、話題が哲学だろうと国文学だろうと、結局のところ同じである。

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