Scribble at 2020-09-29 08:10:44 Last modified: 2020-09-29 08:22:46

せっかく「情報システム部」として部署にしてもらったのだから、会社の経営理念に沿った the Code of Conduct を立てて社内に共有しようと思っている。そして、恐らくそれが経営理念の共有とか浸透に寄与すると思う。マネジメントのリアリズムとして言えば、それが単に口先だけのものだとしても、社員が同じ言葉で対外的に向き合うことは一種の牽制になるのだ。実際、これらのスローガンの効用は口先だけでも連呼しているうちに身についてしまうし、取引先や顧客に《(当人が何を考えているかはともかく)自分たちと同じ言葉を使わせる》ことが最大の要点なのである。従業員は、そういう意味では口真似の機械でいいし、それゆえ経営陣には言わせている責任があるのだ。

the Code of Conduct の中身として外せないのは、もちろん "Don't make a hate for profit" のような職業倫理だろう。あるいは、当社がプライバシーマークの使用許諾を受けていることからすれば、金儲けの為だけで、あるいは広告代理店から言われたというだけで他人の個人情報を軽視したり気軽に集めるような、敢えてこう言わせてもらうがチンピラ商売や詐欺師であってはならぬ。もうそろそろ、21世紀にもなって「だけどそれが人生よ、ルルルー」といったセンチメンタリズムで無能な凡人の生業を免罪してもらうなどという甘い考えを企業として表明するのは慎むべきであろう。われわれ哲学者に言わせれば、たいていの人間なんて無能で凡庸なのだ。それはヒトがどう進化しても現在の物理環境(重力加速度など条件が変わらないということ)で生身のまま 100m を1秒で走れるような身体能力を持てないのと同じで、絶対に有限の存在であるからには、「~ができない」ということを幾ら数え上げて嘆いても仕方がない。それゆえ、われわれには出来ることを適正にやることから積み上げていくしか方法がないのである。最初から「うちは零細企業なので高度なプライバシー管理はできない」だの「弊社は株主の意向があるから、未就学児の個人情報を収集して儲けざるをえない」などと、自分で勝手にハードルを引き上げた上での限界を言い訳にしたり(零細企業は最初から「高度な」プライバシー管理なんてしなくていい)、都合のいい誰かの牽制を言い訳にしたり(本当に株主はそんなことを望んでいるのか。もしそれが不当な要求なら自社株を買いなおしたり上場を廃止してもいいのでは?)、そんなことをいつまでやっていても・・・同じではなく、いまの日本がそうであるように落ち込んでいくだけなのだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook