Scribble at 2018-01-21 12:16:24 Last modified: 2022-09-23 20:34:21

インターネット接続による通信サービス、そして主にそれを利用したウェブコンテンツの公開、この二つは正確に言うと違うことがらではあるが、アマゾンで洋書を買うとか、プレプリントサーバから論文のファイルを取得するとか、個人情報保護委員会のガイドラインを読むとか、あるいは当サイトのような個人のコンテンツを公にするとか、そういう状況では両方の技術やサービスが使われている。大別すると前者は物理的要件であり、後者は論理的要件と言ってよいだろう。もちろん物理的要件がなければ、論理的要件としてどういうプロトコルやネットワーク・トポロジーが確立していようと、われわれは何も通信できない。かといって、単に世界中に通信ネットワークが配線されているだけでは、われわれは何も通信できない。それゆえ、TCP/IP の教科書によく書かれているように、これらの要件はどちらも必要である。

恐らく前世紀に始まる「インターネット革命」などと雑に呼ばれている趨勢の巨大な影響と成果は、この酷く単純な要件を大規模に、しかも北朝鮮やフランスや中国やロシアやアメリカのような殆どの国々が同じルールを採用しているという強力な事実からもたらされている。国連安保理の決定を無視する国は数多くあるが、DNS を無視して自国のウェブサイトを「公開」していると豪語する愚かな国は一つも無い。なぜなら、ウェブコンテンツを「公開する」とは、DNS を始めとする論理的要件を確立するために様々な通信プロトコルを採用することに他ならないからだ。

しかし、たびたび指摘されてきたように、この強力な通信環境には、誰もが知っている筈なのに知らないふりをしているかのような強い制約がある。恐らく最も重大で、或る意味では致命的とも言いうる制約は、冒頭ではっきり述べたようにインターネット接続が通信「サービス」であるということだ。つまり、インターネット接続は利用者が何らかの対価を支払って利用するサービスなのであって、空気のように地上の誰もが自由に幾らでもいつでも使えるわけではない。そして、サービスというものは経済活動であり、それぞれの国の法律に従って営まれるよう規制される商業活動にすぎないので、その国が止めようと思えばいくらでも止められるのである。冒頭で、インターネット接続と、それを利用したコンテンツの公開は、それぞれ違う意味だと述べた。それは物理的要件と論理的要件の違いとしても説明できるが、両者の区別はそれだけにとどまらず、規制される場合の手法としても、電気通信事業者法やプロバイダ責任制限法による規制と、それ以外の個人や法人全般に対する規制との違いがある。

また、インターネット接続の価値は、それを利用するコンテンツの価値とは独立して議論できる。いわゆるネットワーク中立性のように、たとえインターネットを利用してテロリストが通信していようといまいと、ユーザの用途に応じて料金を変えることは通信の傍受を正当化することになるので、コンテンツの話とは別に議論できる。逆に、コンテンツの内容は、それを作成した当人にインターネットを使わせていいかどうかとは別に議論できる。通信環境を規制するのは言論の自由に反するが、しかし通信内容は名誉毀損や威力業務妨害や脅迫罪やヘイトスピーチに関する条令などによって規制できる。

そして更に、僕ら利用者がリテラシーとして考えたり教育したり啓発していかなくてはならないのは、この環境を利用する者としての区別だ。

ネットワーク通信そのものを導入するべきかどうかという点と、ネットワーク通信を使ったどのようなコンテンツを活用するべきかという点は、やはり異なる。前者については、恐らくこれから IoT のアイデアにしたがう商品が普及してくると、冷蔵庫にプライベート IP アドレスどころかグローバル IP アドレスが割り当てられて、家のルータとは無関係な別の無線ネットワークに接続するようになるかもしれない。なぜなら、一般家庭のルータで内部のネットワークに接続されている冷蔵庫に GIP を割り当ててインターネット上のホストマシンとするためには、ルータの特定のポートだけを WAN 側からアクセス可能にする設定が必要となり、大多数の人にそんなリテラシーはないからだ。それとも、そういう設定変更を「自動で」やってくれる仕組みが導入されるとでもいうのだろうか。

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