Scribble at 2017-09-02 11:59:32 Last modified: 2022-09-22 10:22:14

宗教が本質的に「生きるのが辛い」「死ぬのが怖い」という人たちの気晴らしであることは確かだが、本当に辛くて怖い人々は本を読んだり説教を聴く暇などない。本当に助けるべき人たちを救うのは言葉ではなく人の助力というものだ。ボランティアをやる聖職者は、二重の意味で<分かって>る人たちだ。たぶん彼らは、宗教の力など実は信じていない。しかし、長らく研鑽なり修行を積んで<分かって>しまった人々は、<分かって>しまったとしても、それを言って聞かせるのは難しいと感じる。世俗化した宗教とか、出家を要しないスタイルの宗教といったものは、表面的には時代のニーズに合わせた単なるカジュアルなものに見えるかもしれないが、あれは実際のところは<分かって>しまって宗教に絶望しないようにする巧妙な仕掛けなのだろう。

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