2017年08月24日21時35分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-08-24 21:35:32

「忘れるな」というメッセージは、自分たちが被害者なら発するのも道理だと思う。だから、この季節になると原子力爆弾なり焼夷弾で被害者になった日本人(の遺族)は、せっせと反戦ドラマを観たり本を読んだりメッセージを発するし、中国や韓国の人々はこれからも日本に向かって色々なメッセージを発すると思う。そして対外的な関係において我々日本人は、結果として敗戦国だからというだけではなく、実際に何らかの暴虐なる行為を行った国の人間として(いわんや実行者の末裔なら)、外国からのメッセージを正否や当不当の判断はあるとしても、まずは受け容れなくてはいけない。その末に何らかの方法で補償するかどうかは国際法や政治的な駆け引きの問題なので、にわかにどうするべきかは言えないが、彼らのメッセージはまず受け止める責任があると思う。或る歴史を負った国に生きるとは、そういうものだろう。ものづくりがどうとか、そんな都合のいいことだけで歴史が作られるわけもない。

そして、そういうメッセージが言えない境遇の人たちもおられるという想像力は同時に持っておきたい。特に日本という国において「日本人」とは区別されていた多くの人々は、加害者の国にいながら自分たちも被害者となっていたわけで、そのような状況では国という規模でものを語るのは不適切になる。

たとえば、関東大震災のときにデマのせいで大勢の中国人や朝鮮人が不当な被害に遭ったという話は、若い頃から何度も見聞きしたけれど、マスコミは積極的に取り上げようとしないし、出版社も大手は及び腰になる。しかるに、8月になると繰り返される「被害者としての日本人」という自意識の echo chamber に水を差すようなことは難しくなるわけだ。実際のところ、アメリカ軍の日本本土爆撃で死亡した人の中には、若い頃に見舞われた関東大震災の際に中国人や韓国人を殺害した者がいるかもしれないわけだが、そういう冷静な指摘をすることは、センチメンタリズムが最高の判断指標である田舎者国家においては、慎まなくてはならない。

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Google+ Twitter Facebook