2017年08月03日11時20分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-08-03 11:58:36

アヤ先生‏ @_aya_sensei ダレノガレ明美が、校則違反を平気でしてた過去について、「だって、校則は法律じゃないし」と言って全員につっこまれてたけど、私はその感覚すごく正しいと思う

些末な芸能人のやったことなどどうでもいいが、話題そのものは検討に値する。僕も高校時代は相当に「自由」な生活をしていて、高校二年くらいからは高校の近くに住んでいたにもかかわらず、終礼が終わった頃に登校してクラブ活動だけやって帰るという日々を送り、当然ながら全ての教科で出席日数不足によるレポートを提出して単位を取得するという結果だった。体育などは、自分自身がほぼ万能であるという自覚から全く出ていなかったため、教員と夏休みに補習のテニスを何日か続けて、教員は親が死にそうなのに見舞いにも行けないとか文句を言いながらテニスをやっていた。そういう、典型的な「問題児」だったわけである。しかし、そういう生活が個人の感想として良かったとか、ましてや正しかったと言うつもりはない。また、こんなことをわざわざ書いて何かの自慢にするつもりもない。可能であれば、他のもっとましな過ごし方があったろうと思う。

さて、世の中の決まり事を平気で破る人間を示して、上記で引用したようなコメントを書く人は多いし、「ルールに縛られない『自由』な生き方」などと称賛する人までいるわけだが、そういう人たちって、結局のところ自分には影響がなく無関係だと思ってるからこそ、そういう無責任な(社会科学的には杜撰な)ことを言うのだろう。その「自由」な人々が、そういう人物を称賛している人の親から金銭を騙し取ったり、彼らの妻や娘を犯し、彼らの親友をナイフで滅多刺ししても、彼らは同じことを言い続けられるだろうか。もちろん、彼らはダレノガレ云々はそういうことはしない、<しょせんは芸能人ふぜいが>そこまでの道に外れた行為はすまい、と思っていることだろう。そしてそう安心して思い込めるのは、つまるところ上記のようなコメントを書く人たちが、ダレノガレ云々とかいう「化粧タレント」どころか芸能人というものを最初から自分とは別の世界の人間であり、実生活において何の利害関係もないと思っているからなのだ。ヤクザ映画を軽々しく賛美する人と同じであって(軽々しくなければいいかと言うと、そうとも思えないが)、その「自由」に振舞う人々を自分たちの生きている世界とは隔絶したところで生きる人間だからと差別してるから、そんなことが軽々しく言えるんじゃないかな。

ともかく、校則を破った芸能人なんて些末な話はどうでもいいけど、こういう雑な価値判断は、えてして男性目線のジェンダー論にもありがちだと思うので注意したい。(たとえば「自由」に振舞っている女性がカッコいいみたいな話って、実際には「妻が同じことをしたら困る」人でも気軽に言えるんだよね。)

もう少し話を続けると、人はルールがあろうとなかろうと基本的には自分に都合よくふるまう。それをどのようにコントロールするかが躾であり社内規程であり校則であり法令であり条約という数々のルールなのだから、もし上記のようなコメントを書いている人たちが(恐らくはそうだろうと思うが)どう振舞っても「自由」だというわけではなく、一部の事案について何らかの制限があったうえで「自由」に振舞うことを称賛しているだけであり、「これこれを守れば後は自由」と言いたいだけなら、そういう人たちは「自由」を強調するよりも「これこれ」を特定する方がいい。

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