2017年05月29日11時40分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-05-29 12:21:22

経営書や経済学の本を取り上げようと思って立ち上げたサイトですが、なかなか進まなくて申し訳ないことです。ただ、こうして自分が思っていることをブログのように書き綴っているだけのものでも、それなりにコンテンツとして考えてもらえば、放置されているわけでもないことはご理解いただけると期待しています。

さて、「経営書」と一口に言っても、学術書でもなければ、大企業のファウンダーが書く「おらが会社のケーエー哲学」みたいな結果論や後知恵の展覧会みたいな本でもなく、特に経営コンサルタントが書く経営書に多いなと感じる傾向は、他の著者や学説やポリシーに関する批判的な検討が少ないということです。もちろん、あからさまに他人を批判することを目的にものを書いても、それは経営書ではありません。事前に他の著作を検討した上で、敢えて批判を内容に盛り込まず、それを経た末の積極的で正しいと思われる内容だけを提供するという執筆方針でも一つの見識と言えるでしょう。しかし、そうした末の著作なのだと他人から分からなければ証明不能です。そして、学術の手ほどきを大学で受けることの一つの利点は、そういう論証や典拠を示すことが他人を説得する手堅い方法なのだと教えてもらえることです。これは、気の毒なことに独学で学問の真似事をしているような人々は気づきにくいことであり、中には正しく理解する方もおられますが、アマチュアの多くは(注釈や典拠表記が全くない「自称学術書」もあるので、それらに感化されてか)適切な注釈や典拠表記をせず、自分がきちんと一定の素養をもち、その分野のスタンダードな知識や論点を押さえたうえで議論しているという証拠を示す努力を怠ってしまいます。学術研究者ですら、「俺って東大の教授だし」などと言ったくらいで学術としての手順を省略できるわけではありませんし、「彼は分かってる」などと 5,000 年後の読者にも無条件で理解されるような文章が書けるわけでもありません。いわんやアマチュアなど、たいていは素養がないと断定されるのが当たり前ですし、学術の水準を維持するには一定の「足切り」にもそれなりの正当性があるので、余計に自らの素養を立証しておく必要があります。ところが、学者でも経営者でもないコンサルに限って「コンサルの経験」を「元マッキンゼー」だの「アクセンチュアのなんとかマネージャ」だのと表記するだけで、経営やマネジメントを語るためのフリーパスみたいなものを持っているかのような文章を書きます。もちろん、大学の博士課程まで進んだ人間から見れば、そのような文章の 99.99999% は、外資系コンサルティング企業の部長が書いたものであろうと紙屑でしかありません。

彼ら経営コンサルタントや MBA 保持者が英語を読み書きできるだけの無能にすぎず(アメリカには、もちろんそういうアメリカ人が山のようにいます)、紙屑を量産するだけの壊れた輪転機であるかどうかは、やはり彼ら自身のフィールドで彼らが得意とする口八丁で営業させているだけでは任意に確認できないので(つまりわざわざ彼らが主催するセミナーなどに参加しなくても、誰でも検証できるということが保証されていないので)、不十分です。したがって、セミナーなどのような新興宗教の勧誘イベントと大差ないものに参加するのではなく(そのセミナーに参加したという経験自体がクオリア論証の正当化に使われる可能性もあります)、彼らに公の場で議論させるか、他人の見解について論評するような機会を増やしてもらわなくてはなりません。そうでなければ、占い師が他の占い師を批判することが業界のタブーであるのと同様に、経営コンサルティングもまた、コンサル同士で争わず、自分の書いたもので「釣れる」固定客を自分の店の中で相手にするだけでの、文字通り水商売でしかないと言えるでしょう。

ところが、一部では他の見解を論評する方もおられるようですが、批判を始めると、お前は俺の経験を知らないという「クオリア論法」に陥りやすいという傾向がみられます(ふだんは他人にクリティカル・シンキングを講じている人々が、です)。でも、個人的な経験についてしか当てはまらないリーダー論や組織論やマネジメントや経営手法なら、どうしてそれを普遍性があるかのように本として販売しているのでしょうか(尤も、占い師にそれを言っても始まらないわけですが)。

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