2017年05月25日10時01分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-05-25 10:02:36

「中1」で英語を嫌いになってしまう理由

「よく、子どもたちや保護者の方も含めて、中学校1年生からいきなり英語が時間割に入り、文法でつまずいて早々に英語嫌いになってしまう。この『中1ショック』が小学校5年生に引き下げられるだけではないかという声を聞くわけです。」

これ、意味が分からないな。日本語の文法としては「子供が早々に英語嫌いになってしまう」という意味合いは分かるけれど、保護者まで英語嫌いになるのが「中1ショック」なのだろうか。そして、この「声を聞く」というのは、いったい「誰から」聞くのか。まさか小学校5年生の子供が「中1ショック」のようなものに自分が襲われるから英語教育を整備してくれないものかと、世を憂いて懸念しているわけでもなかろう。つまり、英語で言う "It seems to say that..."(~ということのようです)ではないのか。となると、上記の二つの文は、どちらも "it seems to say that..." の "say" の主語である、どこかのどなたかが言っている風評だという結論になる(あるいは、そう間接的に表現して、発話者自身の主張として責任を負わされないようにしている)。僕は思うのだが、こういう小手先のテクニックばかり弄した文章や会話を平気で続けている限り、英語どころか、実は日本語の運用能力も大して向上しないのではあるまいか。僕には、そもそも(たぶん僕も似たり寄ったりだとは思うが)日本人の大多数は母国語の運用能力すら、さほど来訪外国人や在日外国人に何か言えるほどのレベルには達していないと思える。

それから、これは英語に限らず教育全般について基本的な論点だと思うのだが、いわゆる [ここで Firefox がクラッシュしたのだが、入力していた文章すらリアルタイムにキャッシュを残しているようだ。これはこれで気味悪いが、まぁ助かった] 補習塾や進学塾や予備校は国の学習指導要綱などお構いなしに、教科を選定したり(予備校で大学の数学を高校生に教えている場合もある)、教育内容を選んで教えている。このていどは、自分自身が塾や予備校へ通っていた経験をもっていたり、子供を塾や予備校へ通わせている方ならご存知であろう。塾や予備校へ通うのは、個々の塾や予備校が受験にあたって集めている情報や過去問の分析といったリソース、それから授業内容を理解したり受験に必要な知識を的確に教える、講師のテクニックなり指導力に期待しているからだ。つまり、それぞれ独自の方法やリソースを使って英語を教える塾や予備校が国内にたくさんあって、恐らくは大手から小規模な教室に至るまで数多くの講師やシンクタンクの研究員が英語の指導方法について考え、実際に授業で運用してきた筈である。

その結果が、これなのだ。

つまり、生徒と教員には情報伝達の条件だけでなく相性のような良い人間関係も必要だから偶然的な要素があり、個々の教科の決定的な指導方法は見つかっておらず、恐らくそんなものは存在しないであろう。教育というものは、僕の理解ではデータ A を甲さんから乙さんへ「転送する」などといったモデルで考えてはいけないものであり、それゆえにこそ教育学や心理学は、伝統的に多くの欧米の大学では哲学を中心とした学部に配置されているのだ。したがって、どういう条件でどういう人に特定の手法が有効なのかという詳しい分析が常に必要とされるし、その分析を利用して何かを指導するとしても、指導者当人が指導者としての特定の条件を満たしているとは限らないため、他にどのようなテクニックが採用できるかも検討しなくてはならないだろう。実際には、殆どの教員にはそうした詳細な条件分岐のための素養が不足している。それゆえ、ここ最近の大きな話題でもある発達障害の兆候に気づかないで、子供を「なまけ癖の子」だとか「偏食児」だと断定してみたり、あるいは子供の特性を把握できても誤った対応をとる教員が大量にいるのだ。

我々は、学校の教員に間違ったことを期待している。彼らは甲子園大会へ行くようなレベルの野球であろうと、あるいは国際大会へ出場するようなレベルの数学ができようと、クラブ活動などという暇つぶしに携わるべきではないし、いじめの解決をさせるべきでもない(あれは端的に言って犯罪であり、僕は一定の限度を設けて警察を介入させて構わないと思う)。学校の教員は科目の教育や生活・進路指導にプロフェッショナルとして専念させなくてはならず、それ以外を家庭が押し付けてはいけないのである(もちろん親に時間がないという事情を救済する手段も必要だが、学校に勝手に期待するのは無責任というものだ)。私立の学校などが或る種の宗教的な目標に沿って「全人教育」や「人間教育」をうたうのは勝手だが、国公立の学校がそんなことをやるのは寧ろ危険である。

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