2017年04月12日13時51分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-04-13 09:26:06

堅実なことを少しずつでも積み重ねることが重要だというのは、もちろん子供の頃からの勉強とか趣味とか家事にも言えたことだが、読書にも言える。ここで言う読書とは、小説を読むのとは違って、いわゆる critical reading のことである。これをやるときのポイントは、気になったら付箋を貼ったり、可能であれば気になった箇所をマーキングしておくことだ。そしてメモを取ったりカードを作ることも効果的だと思う。

要するに、読んでいる間に自分が著作から何を受け取って何を考えたり感じたかを、きちんと記録するということである。読書家と称する人々の中には、得てしてこういう critical reading の手順や実務を「事務」などと称して低俗なふるまいといわんばかりに蔑み、読書を高踏趣味であるかのように扱うバカがいるものだが、事務が低俗でないのと同じていどに、読書もまた本質的には高尚でもなんでもない。媒体を利用する方法や目的というものは色々とあって一つに決められるものではないし、それらのうち或る方法や目的が必然的に低俗だったり高尚であると言いうる正当な根拠もなかろう。

こうした記録がなければ、まず第一に自分が何を読んだのか覚えられないし、思い出すのに全てを読み返す暇などかけていられないだろう。短いメモが残っているだけでも、自分が或る本や雑誌記事を読んだり映像資料を観て何を感じたり考えたかを思い出すヒントになり得る。そして、こういう細かく堅実な努力を怠っている人は、実は大多数なのである(だからこそ彼らは「凡人」であるほかはないのだが)。

たとえば、いっとき『ブラック・スワン』というニコラス・タレブの本が爆発的に売れた。しかし、この本が何を主張しているかを明解に説明できる人は、周りに質問しても殆どいないと思う。また、この本の中に書かれていたことを何か説明してくれと頼んでも、せいぜいヘンペルのカラスのパラドクスを簡単に説明できる人がいればマシな方だ。それと、いわゆるリーマン・ショックがどういう関係にあるのかを解説できる人も、残念ながら殆どいないと思う。それはつまり、『ブラック・スワン』を買った人は大勢いたのかもしれないが、内容を覚えている人は殆どおらず、しかも通読どころか実際にページを開いたことすらなく古本屋に売ってしまった人も多いからだ。そして、読んでいない人々は論外としても、せっかく一読はしたのに内容を覚えていないというのでは、はっきり言って時間の浪費でしかない。なぜなら、それだけで終わっている人々が記憶しているのは、書物の内容つまりはコンセプトとしての着眼点や概念あるいは展開されている議論ではなく、本を読んで自分が感じた印象とか、文章に出てくる文言と自分の印象との連想だけだからである。そのような印象や連想をどれほど記憶したところで、印象どうしの繋ぎ替えが自分にとって心地よいかどうかという基準でしか物事を判断できないままなので、そのような読書体験を積み重ねても他人に何かを説明するための見識は殆ど詰み上がってゆかない。そのくせ、本をたくさん読んだというプライドだけはどんどん詰み上がっていくので、説明できない体験を他人が共有していないという点だけをもって相手を軽んじたり相手に苛立つようになる。そういう読書は、自分自身の役にも立たないし、人間関係も無自覚に壊すだけで悪質としか言いようがない。

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