2017年03月28日10時11分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-03-28 10:11:36

僕は敢えて「(僕自身も含めた)われわれ凡人を基準にしなければ文化や制度は維持できないし、発展する余地もないかもしれない」と言う場合があるのだけど、それって単に高学歴の人間(とりあえず僕は博士課程には進んでいる)が凡俗におもねる構図をなぞってる自意識じゃないかとも反省することはある。つまり、何らかの優劣を不当に仮定した上で「おまえら凡人も考慮してやるよ」みたいな構図になってやいないかということなんだよね。「世の中を向上させるには、その対象や担い手の大多数が凡人であることを考慮してシステムを設計するべきである」なんて主張は、一見すると「排除の思想」なるものに抵抗してるようには見えるけど、大勢の凡人から拒絶されたくないというだけの自意識ではないのか。哲学の通俗書でも出版したいとか、どこかの三流大学で非常勤講師になりたいといった下らない野心でもあるならともかく、知識や学問において、いい人ぶったってしょうがない。

ということなので、自分自身については凡俗の一人であるという意味合いで、わざと「科学哲学の研究者」とか「哲学に携わる者」という言い方をしてきたのだけれど、やはり学問や思想、つまりは自分自身が探求している課題に対してどういう姿勢をとるべきだと自覚しているのかを明確に表現するという趣旨で、そろそろ「哲学者」と名乗った方がいいのではないかとも思う。「哲人」はちょっとニュアンスが違うから使わないけど。

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