2017年03月15日11時11分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-03-15 11:11:47

ファインマンとヒッブスが書いた『量子力学と経路積分』という著作は、みすず書房から 1995 年に旧訳が出ていて、1995 年というから僕が関西大学の大学院へ在籍していた頃に買っている筈だ。このほど新訳が再びみすず書房から出るとのことで着目しているのだが、そもそも原著に大量の誤植や内容の誤りがあるというのが改訳の事情だという。僕は、改訳版は自分で購入せずに大阪市立中央図書館が購入したら借りて、自分が持っている旧訳と対比しながら読もうと思う。いくら旧訳に誤りが多いからといって、同じ本を何冊も買うほど本書が物理学において(なかんずく僕自身の宇宙や物質や自然現象に関する理解について)決定的な意義をもつと言えるかどうかは分からないからだ。そもそも旧訳の問題とされているポイントが、書物の論旨すら全く変えてしまうほどの重大事であれば、アメリカにおいて原書で出版し続けること自体ですら「文化犯罪」と呼ぶべき非難に値することだった筈だ。しかし、そこまでの風評は見聞きしたことがないので、誤植や内容に誤りがあるとしても瑣末なことがらではないのかという予想をしている。

僕はもちろん凡人なので、先人の業績なり、それらの翻訳なり、あるいは現代の業績なりを書籍として出版するという事業には一定の敬意を払っている。無論、闇雲に賞賛しているわけでもないから、出版や報道そのものを何か本質的に「善行」や正義の実現だと思い込んだりはしないが、彼らの成果や活動によって読み手が多くの利益を享受しているのも動かし難い事実である。したがって、このようなことは産業や事業全体を崇拝したり軽蔑するものではなく、個別の成果を評価しなくてはならないのだろう。まぁ、その結果として「新聞なんてジャーナリズムの何たるかも厳密に考えたり厳格に適用していない、学卒の集まりが書いているアマチュア日誌にすぎない」などと言う場合もあるわけだが。

ということで、高い評価に値するような個々の出版物はたくさんある。つまり、読みたい本は毎年毎月毎日のように続々と出版されているわけである。『量子力学と経路積分』の翻訳書にも敬意は払いたいので、できれば購入したいところではあるが、人には生活というものがあって、書籍を買うだけで生きていけるわけでもない。昼食代を一回ぶんだけ削って新書本を一冊だけ買うことはできるかもしれないが、その場でトイレットペーパーを買わずに文庫本を一冊だけ買うかと言われれば、僕にとってはトイレットペーパーの方が重大である。

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